ページタイトル:唐人舟繋ぎの銀杏 当サイトのシンボル

画像:唐人舟繋ぎの銀杏

画像:唐人舟繋ぎの銀杏(遠景)
名称 唐人舟繋ぎの銀杏
    (とうじんふねつなぎのいちょう)
名称の典拠 天然記念物指定名称
樹種 イチョウ
樹高 25m(注1)
目通り幹囲 7.5m(注1)
推定樹齢 700年(注2)
所在地の地名 熊本県玉名市伊倉北方
 〃 3次メッシュコード 4930−24−85
 〃 緯度・経度 北緯32度54分18.7秒
           東経130度34分16.1秒
熊本県指定天然記念物(1965年2月25日指定)
撮影年月日 2011年8月5日

注1)環境庁「日本の巨樹・巨木林 九州・沖縄版」による
注2)現地の案内板(伊倉まちづくり委員会設置。設置年月不詳)による





 近くに唐人町の地名があり、海からそう遠くないことから、貿易に関わった中国人がここに住んでいたのかも知れない。「唐人舟繋ぎの銀杏」は、そんなことから想像された名なのであろう。そんな風に思っていた。
 調べてみたら、熊本県公式サイトの一つ「地域発 ふるさとの自然と文化」に詳しい説明があった。
 北から流れてきた菊池川は、千田川原のところで西に向きを変えている。これは加藤清正が流路を変えたからであって、かつての菊池川は、そのまま台地の縁に沿って南進し、河内町白浜の方に流れていたそうだ。今の唐人川が昔の菊池川だったのだろうか。そのあたりには船津の地名も残る。
 伊倉の台地の下には丹倍津(にべのつ)があり、中世には国際港として栄えたという。有明海が此処まで迫っていたともいうようだが、菊池川に築かれた港と考える方が自然に思われる。
 しかし、残念ながら、イチョウが立つ場所は台地の端で、下の水田とは10m以上の標高差がある。イチョウが生きた数百年程度の時間に、陸地または水面が10m以上も上下したとは考えられないので、実際には、このイチョウに舟を繋ぐことはなかったはずである。
 イチョウが立つ場所は安住寺の境内だったそうだ。
 今は住宅地の一角。近くに小さな祠がある。イチョウの幹にできた大きな空洞内にも小祠があり、神様を祀っている。
 皮だけで立つイチョウだが、樹勢は悪くなさそうだ。
 
ボタン:熊本県の巨木リストに戻る ボタン:トップページに戻る