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画像:十村屋敷跡のスダジイ(1)

画像:十村屋敷跡のスダジイ(2)(幹と並ぶ)
名称 十村屋敷跡のスダジイ
    (とむらやしきあとのすだじい)
名称の典拠 現地の案内板(注1)
樹種 スダジイ
樹高 21m/22m(注2)
目通り幹囲 10.5m/8.6m(注2)
推定樹齢 700年以上(注3)
所在地の地名 石川県加賀市小塩辻町
 
〃 3次メッシュコード 5436−42−06
 
〃 緯度・経度 北緯36度20分26.7秒
           東経136度19分47.4秒(注4)
加賀市指定天然記念物(1987年10月8日、「十村屋敷跡スダジイ巨木群」として、旧屋敷内のスダジイ11本を一括指定)
撮影年月日 2006年10月15日

注1)1995年9月に加賀市教育委員会が設置した案内板に、天然記念物指定名称が掲載されている。そこから名前をいただいた
注2)環境庁「日本の巨樹・巨木林 甲信越・北陸版」による。いずれも上図の個体が前者、下図の個体が後者
注3)上記案内板による
注4)これは上図の個体の位置





 小塩辻町のほぼ中心に、十村屋敷跡が残り、そこにスダジイの巨木が散在している。
 屋敷跡は開放され、誰でも自由に入ることが出来る。というか、巨木のすぐそばまで車の乗り入れも可能。(自由なのはありがたいが、車の乗り入れくらいは制限した方がいいのではなかろうか)
 スダジイは、いずれも立ち上がってすぐに数本の幹に分かれている。単幹ではないので、恐れ入るほどの巨大さは感じなかったが、それでも人を圧倒する迫力は十分に備えている。樹勢も良さそうだ。
 十村屋敷跡とは、ここが大聖寺藩の十村役鹿野家の旧地だからである。
 鹿野家初代小四郎は、吉崎村(石川・福井県境。大聖寺川及び北潟湖が日本海に注ぐ地)で、農業のかたわら船乗りをしていたが、天和元年(1681)に吉崎村の肝煎に選ばれ、元禄4年(1691)には目付十村に抜擢されて、当地に移ってきた。
 9代小四郎も十村として新田開発や砂防林の植林に努め、11代源太郎は紙屋谷用水の開削に努めるなど、代々、当地方の発展に寄与してきたようだ。(鹿野家の業績については平凡社「石川県の地名」を参考にした)
 スダジイは元禄期に植えられたのだろうか。それとも、以前からの自然林の生き残りなのだろうか。
 いずれにしろ、長い時間をここに立って、歴史の流れを見てきたものと思われる。
 
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