ページタイトル:得月院の榧 当サイトのシンボル

画像:得月院の榧(幹と並ぶ)

画像:得月院の榧(全景)
 本堂裏手の墓地から見たカヤ
名称 得月院の榧 (とくげついんのかや)
名称の典拠 なし
樹種 カヤ
樹高 20m(注1)
目通り幹囲 5.0m(注1)
推定樹齢 500年(注1)
所在地の地名 茨城県牛久市城中町
 〃 3次メッシュコード 5340−71−40
 〃 緯度・経度 北緯35度57分32.4秒
           東経140度07分54.5秒
牛久市指定天然記念物(1983年5月6日指定)
撮影年月日 2010年5月22日

注1)「市民の木」と題した案内板による(牛久市が設置。設置年月不詳)





 城中町の地名から想像できるように、昔、ここに牛久城があった。16世紀の初めころ、在地領主岡見氏が築いた城で、天正18年(1590)に岡見氏が滅亡してからは、上野国金山城主であった由良国繁が入城した。元和7年(1621)、由良氏が除封になるとともに、城も廃されたようだ。
 得月院は、その由良国繁の母妙印尼の開基という。境内には、文禄3年(1594)に没した妙印尼の墓(五輪塔)もあり、牛久市指定文化財(史跡)。
 しかし、今はむしろ、河童の絵で知られる異色の画家、小川芋銭(おがわうせん。1868〜1938)の墓の方が有名なようだ。
 小川家の菩提寺である得月院には、もちろん芋銭も何回か墓参に訪れているはずだ。墓地の入口に立つカヤの大木のことも記憶に残ったに違いない。案内板によれば、第6回院展に出品した「樹下石人談」は、このカヤをモチーフにした作品だという。(残念ながら、その絵は見ていない)
 市天然記念物のカヤは、単幹が直立する姿。カヤとしては樹高も高い方だ。カヤ独特の根張りと樹肌が力強い。
 ただ、上記データほどの目通りはないように思われた。
 
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