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名称 天龍界のケヤキ (てんりゅうかいのけやき)
名称の典拠 現地の案内板(注1)
樹種 ケヤキ
樹高 30m(注2)
目通り幹囲 8.0m(注3)
推定樹齢 300年以上(注2)
所在地の地名 長野県上伊那郡辰野町平出原田
〃 3次メッシュコード 5338−70−80
〃 緯度・経度 北緯35度59分13.5秒
東経138度00分18.8秒
辰野町指定天然記念物(1973年4月1日指定)
撮影年月日 2002年5月26日
注1)1988年4月に辰野町教育委員会が設置
注2)環境庁「日本の巨樹・巨木林 甲信越・北陸版」による
注3)同上。八十二文化財団ホームページ「長野県の文化財」では8.5m
真言宗高徳寺の所有となっているが、高徳寺からは600mほど北に位置する。辰野と岡谷を結ぶ県道14号と中央自動車道がもっとも接近する辺りである。中央道を走っていると、西に見える。
高徳寺からもよく見えるのだが、アプローチの道がよくわからない。たまたま参詣に来ていた人に教えていただき、やっと辿り着くことができた。乗用車1台がやっと通れるだけの狭い道である。わからなくて当然だった。
ケヤキに着くと30〜50歳くらいの男性が10人ほど野外バーベキューを楽しんでいた。お酒も入っている。職場の仲間だろうか。楽しそうだ。
ところで、「天龍界」とは何だろう。「天龍」が天竜川に因むことは想像できるが、「界」の文字が加わることで、どんな意味があるのか。
愉快なグループの人たちに、ケヤキの名を尋ねてみた。みんな名を知っていたが、しかしどなたも「天龍界」の由来は知らなかった。
上写真の裏側の根元に洞があり、石室が作られている。この石室内で生きながら仏になった山伏がいたということだが、これについても、詳細は分からなかった。(注4)
注4)滝沢解(=曲亭馬琴、1767〜1848)の「兎園小説」に言及があることは案内板にも記されていたが、千葉県在住のIさんから該当部分の抜き書きを添付したメールをいただいて、もう少し詳しいことがわかった(感謝)。抜き書き部分の内容を要約すると、およそ次のようなものである。
信濃国伊那郡平井手(=平出)村に大きなケヤキがあった。文化14年(1817)の秋、大した風雨もないのに倒れ、根元の穴から石櫃が出てきた。里人が近づいてみると石櫃中よりかすかに鈴鐸の音と読経の声が聞こえた。驚いた里人たちが衆議したところ、一人の翁いわく、昔、天竜海喜法印という山伏が即身成仏を願ったと伝え聞く。その山伏がまだ生きているのだろうということになって、里人が石櫃表面の土を取り除いてみると、果たして歳月名字などが彫りつけてあった。それで、急遽注連縄を巡らし、芦垣を作って、みだりに人を近づけないようにした。…と、こんな話だ。
これは、「信濃国高島郡下の諏訪真字野村」出身の初太郎なる「はたちに足らぬ田舎児」から聞いた話とされている。石櫃に刻まれていたという年号を尋ねたが、覚えておらず、150年ほど前と聞いたと答えたようだ。
さて、これをどう考えるか。150年もの間、石櫃中で人が生き続けることはあり得ないが、近隣では有名な伝承だったのだろう。「天竜界」の名称は伝説の山伏「天竜海喜」と関係しているのかも知れない。伝承通り1817年にケヤキが倒れたとしたら、写真のケヤキはその後植え直されたことになる。ならば樹齢は200年強ということになるが、実際の樹齢はもっとありそうだ。手前側にもう1本立っていた別の幹が倒れたのかも知れない。
いずれにしろ、根が石室を抱えるケヤキなど滅多にあるものではない。「兎園小説」に登場するのはこのケヤキのことだと思われる。(2021/10/19追記)
/続き:後日、同じIさんから辰野町教育委員会発行の「辰野町の石造文化財」のコピーを見せていただいた。その「平出71」中に、「元禄七甲戌年 天龍海喜法院(ママ)
五月十五日」の刻字がある地蔵像が載っていて、「備考」欄に「上町(天竜界)」と記されていた。他の石造文化財の「備考」欄から推測すると、この欄はその文化財が所在する場所についてのメモのようだ。
また石室も載っていて、その「碑文等」欄には「天竜界 奉寄進(地蔵像二体)」と書かれている。どうやらこの石室そのものが天竜界と呼ばれているようであり、それに関連するさまざまなものは「天竜界の…」と呼ばれているのではないだろうか。
これで樹名についての疑問が解けたように思うのだが、どうだろう。それにしてもIさんの博識と行動力には脱帽である。感謝以外に無い。(2021/10/23追記)
※いつも貴重な情報を寄せて下さる浜松市のIさんから、このケヤキが倒れたことを教えていただいた。幹の内部で腐朽が進んでいたらしく、近くで畑仕事をしていた人から聞いた話で、2年前に突然倒れたとのこと。添付された写真を見ると、切株のみになってしまった今も、屋根をつけて大切に保存されているようだ。(2015.07.15追記)
※その後、屋根は取り外された。(2016.09.30追記) |
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