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画像:天台寺のカツラ



桂清水(赤い柵の内側に清水が涌いている)
名称 天台寺のカツラ (てんだいじのかつら)
名称の典拠 なし
樹種 カツラ
樹高 25m(注1)
目通り幹囲 14.7m(注1)
推定樹齢 300年以上(注1)
所在地の地名 岩手県二戸市浄法寺町御山久保(注2)
 
〃 3次メッシュコード 6041−21−34
 
〃 緯度・経度 北緯40度11分46.9秒
           東経141度11分00.7秒
天然記念物指定 なし
撮影年月日 2006年7月31日

注1)環境庁「日本の巨樹・巨木林 北海道・東北版」による
注2)2006年1月1日、二戸市に合併。旧行政区は二戸郡浄法寺町





 第73世住職瀬戸内寂聴師の青空説法で一躍有名になった天台寺だが、もともと、神亀5年(728)に行基が開いたとされる当地方有数の名刹だったのである。
 天台寺がある山は御山(おやま)と呼ばれて尊ばれた。その後も南部氏をはじめ、その時々の領主から厚い保護を受け、寺運は隆盛を極めた。
 しかし明治以来、寺運は一気に衰えた。天台寺を襲った廃仏毀釈の嵐は凄まじく、本堂と仁王門を除く40もの堂舎が悉く破壊された。仏像も然り。数多くの文化財を、新時代の日本人自らが破却したのである。
 戦後の昭和28年(1953)、本堂修理を名目に兼務住職の許可を得た一部の人々によるスギ大木の伐採は、短期間で1千本を超えた。換金目的のこの行為をめぐって、総代らは二つに割れた。そして御山の森厳な雰囲気はすっかり失われてしまった。
 昭和51年(1976)、こんな天台寺の兼務住職に就任したのが、作家今東光氏であった。有名作家の名は復興の気運を盛り立て、そして昭和62年(1986)、冒頭に記した瀬戸内寂聴師晋山以来、復興は着実に軌道に乗ったように見える。(平凡社「岩手県の地名」を参考に、私見を交えた)
 ところで、天台寺とカツラとは関係が深い。本尊の聖観音像はカツラの大木を刻んだとされ、天台寺は通称を桂泉(けいせん)観音と呼ばれている。
 写真のカツラの根の間から清水が流れ出し、根元に小さな池を作っている。「桂清水」である。
 さまざまな人間の営みの傍らで、尽きることなく清水が涌き続け、こんなカツラの大木を育ててきたことが、私には何となく嬉しく思われる。
 
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