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画像:棚倉城址の大ケヤキ

画像:棚倉城址の大ケヤキ(幹と並ぶ)

画像:棚倉城址の大ケヤキ
名称 棚倉城址の大ケヤキ
    (たなぐらじょうしのおおけやき)
名称の典拠 現地の案内板(注1)
樹種 ケヤキ
樹高 32m(注2)
目通り幹囲 9.5m(注2)
推定樹齢 600年(注3)
所在地の地名 福島県東白川郡棚倉町棚倉字城跡
 
〃 3次メッシュコード 5540−43−31
 
〃 緯度・経度 北緯37度01分45.6秒
           東経140度23分13.3秒
福島県指定天然記念物(1976年5月4日指定)
撮影年月日 2004年10月11日

注1)棚倉町が設置(設置年月不詳)
注2)環境庁「日本の巨樹・巨木林 北海道・東北版」による
注3)現地の案内板による





 棚倉町は白河市の南東、JR水郡線沿線にある町。棚倉城は白河関の東13kmほどのところ。
 江戸時代初期、丹羽五郎左エ衛門長重は、徳川2代将軍秀忠から棚倉に城を築くよう命を受けた。彼は近津神社があった地を選び、寛永2年(1625)、神社を他所に移して築城を開始した。
 寛永4年(1627)、長重は白河に移され、代わって近江山城(現滋賀県)から内藤豊前守信照が城主となった。以後、江戸時代を通じて棚倉城は歴史の糸を繋いできた。
 写真の大ケヤキは、内堀のほとり、追手門から本丸に至る道筋に立っている。築城以前から存在していたケヤキで、もとは近津神社の木だったという。築城の際に、この大ケヤキを目にしながら登下城するよう演出したというのだろうか。
 その後、時代が変わり、外堀が埋められ、市街地が内堀のすぐ外側まで迫ってきた。内堀の外周に沿って作られた道路も交通量が多くなってきた。ケヤキの立つ交差点も自動車時代に合わせて、改造を余儀なくされた。
 しかし、案内板の文面を借りれば、「先人が育んで来た歴史の生き証人であるケヤキを永く後世に継承するため、樹木の保護および生育環境を整備するとともに、景観にも配慮した交差点の改良工事を」平成14年(2002)に施工したということである。
 そういえば、ケヤキの周囲には広い空間がとられ、道路はケヤキを迂回するような形で取り付けられている。
 町民に愛されているケヤキなのだ。
 
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