ページタイトル:田高春日神社のスギ ロゴ:人里の巨木たち

画像:田高春日神社のスギ 名称 田高春日神社のスギ
    (たこうかすがじんじゃのすぎ)
名称の典拠 なし
樹種 スギ
樹高 40m(注1)
目通り幹囲 5.1m(注1)
推定樹齢 不明
所在地の地名 兵庫県西脇市黒田庄町田高(注2)
 〃 3次メッシュコード 5234−47−69
 〃 緯度・経度 北緯35度03分35.5秒
           東経134度59分33.6秒
天然記念物指定 なし
撮影年月日 2015年7月24日

注1)環境省巨樹データベース(2000年フォローアップ調査)による
注2)2005年10月1日、西脇市に合併。旧行政区は多可郡黒田庄町





 平成26年(2014)のNHK大河ドラマは「軍師官兵衞」だった。秀吉の側近で、知略に長けた参謀として知られる黒田孝高(よしたか、のちの如水)の物語である。
 真偽はともかく、西脇市では、黒田庄町黒田が官兵衞の生誕地だということになっているようだ。私が訪ねたのが放映の翌年だったこともあって、市内各所に官兵衞ゆかりの里の表示が見られた。
 標記の大スギが立つ田高は、加古川を挟んで、その黒田の対岸。扇状地に出来た集落である。
 扇状地の南西端、家々より少し標高の高い場所に、春日神社が鎮座している。
 左図の大スギは本殿の後方。表土が流れたか、根の一部が露出していて、横に長く伸びる根が力強さを感じさせるが、環境省の測定要項通りに測ると、幹囲はもっと小さな値になるのではなかろうか。(実測したわけでなく、目分量での話)
 話は変わるが、田高の春日神社には鐘楼があって、ちゃんと梵鐘もある。神社に釣り鐘とは奇妙な感じだが、お寺と神社が分離されたのは、明治初期の神仏分離、廃仏毀釈政策に起因する。実は、江戸時代までは、両者はまったくの別物ではなく、神社境内に鐘撞き堂があっても、少しも不思議でなかった。
 神仏分離の嵐はどうにか切り抜けたものの、この梵鐘には、その後もう一度、危機が訪れた。戦争遂行のためという理由で、各地の梵鐘がそうだったように、この梵鐘も、昭和18年(1943)に供出されたのである。
 幸い、溶融される順番が回ってくる前に戦争が終わった。梵鐘は無事に戻り、今もここにある。(掲げられた「春日神社沿革史」より)
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