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画像:高瀬の大木(幹と並ぶ)

画像:高瀬の大木(全景)

画像:高瀬の大木
名称 高瀬の大木 (たかせのたいぼく)
名称の典拠 現地の案内板(注1)
樹種 ケヤキ
樹高 26m(注2)
目通り幹囲 11.7m(注2)
推定樹齢 500年(注3)
所在地の地名 福島県会津若松市神指町高瀬字五百地
 
〃 3次メッシュコード 5639−27−11
 
〃 緯度・経度 北緯37度30分49.6秒
           東経139度53分45.3秒
国指定天然記念物(1941年1月27日指定)
撮影年月日 2003年8月23日

注1)1981年11月に会津若松市教育委員会が設置
注2)環境庁「日本の巨樹・巨木林 北海道・東北版」による
注3)1995年刊行の講談社「日本の天然記念物」による





 猪苗代湖畔から新潟市に向かう国道49号は、会津若松市北西の高瀬信号でほぼ直角に右に曲がる。
 そこを曲がらずに直進すると、道はすぐ左に90度カーブする。曲がり終わってから右手を見ると、500mほど先に低い土塁があり、そこにすばらしく太い幹の巨木が立っているのが見える。それが、この高瀬の大木である。
 豊臣秀吉が天下を統一したのち、越後を中心に大きな勢力を有していた上杉景勝(謙信の後継者)は、秀吉の命により会津移封となり、120万石という大領地を与えられた。
 秀吉に従順の意を示し、家康には好意を抱いていなかった景勝は、来るべき家康との合戦に備えて、神指城(こうざしじょう)の築城を急いだ。案内板によれば、家老直江兼続の指揮の下に12万人の人夫を動員、昼夜を分かたぬ工事だった。
 ところが、関ヶ原の合戦で西軍方が敗れ、天下の大勢を察知した景勝は途中で築城を中止した。その土塁の跡が、ここなのである。
 大ケヤキは、当時すでにかなりの大木だったという。本当に戦争のための城の土塁ならば、木が生えていては具合が悪いと思うのだが、なぜ伐採されなかったのだろうか。あるいは、工事を中止せざるを得ないことを、当初から予感していたのだろうか。想像はつきないが、とにかく、ケヤキは残った。
 それにしても太い幹である。昭和24年(1949)の台風で大枝が折れてしまったが、いまなお樹勢は良い。
 会津盆地No.1の巨木と言っていいのではなかろうか。
 
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