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名称 高舘跡のエドヒガン
(たかだてあとのえどひがん)
名称の典拠 なし(注1)
樹種 エドヒガン
樹高 15m(注2)
目通り幹囲 5.6m(注2)
推定樹齢 700年(注2)
所在地の地名 岩手県遠野市宮守町下鱒沢34地割(高舘)
〃 3次メッシュコード 5841−73−52
〃 緯度・経度 北緯39度17分53.3秒
東経141度24分22.1秒
遠野市指定天然記念物(1998年12月22日指定)
撮影年月日 2024年4月18日
注1)案内板に「高舘跡と古桜」とあったのを参考に。なお天然記念物指定名称は単に「エドヒガンザクラ」
注2)合併前の旧宮守村教育委員会が1999年度に設置した樹名板による
釜石自動車道宮守インターチェンジのすぐ北に、猿ヶ石川(さるがいしがわ)を見おろす高台がある。
かつてここに阿曽沼(あそぬま)氏の家臣面懸左衛門尉の居城があった。高舘の名前はそれに因むと思われる。
案内板によると、この桜は城主の手植えと伝えられているらしく、それが推定樹齢の根拠のようだ。
ただし、史実としてはどうだったものか。
案内板には「忠臣」と書いてあったが、かなり疑わしい。阿曽沼氏は、面懸左衛門尉が遠野保を横領しようとしていると国司北畠顕家に訴え、それが認められたこと、そして実際に阿曽沼氏との間で合戦があったことが「忠臣」を疑う理由である。(名前について、面懸でなく角懸が正しいという論述もある)
伝承は伝承として、実際の樹齢はもっと若いように思われる。
源義経等、例外も無くはないが、一般的には合戦の敗者が悪者になることが多い。しかし、そうであっても敗者に共感する者が誰もいないはずはない。
面懸氏の滅亡後かなりの時間を経て、しばらくして、ほとぼりが冷めた頃に、面懸氏を慕う何者かが植えたとする方が実際の樹齢に合致するのではないだろうか。
もっとも、この桜と面懸氏とは何の関わりも無いというのが一番ありそうなことだが。 |
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