ページタイトル:春徳寺の大クス ロゴ:人里の巨木たち

画像:春徳寺の大クス

画像:春徳寺の大クス(全景)
名称 春徳寺の大クス (しゅんとくじのおおくす)
名称の典拠 なし
樹種 クスノキ
樹高 17m(注1)
目通り幹囲 9.3m(注1)
推定樹齢 不明
所在地の地名 長崎県長崎市夫婦川町(ふうふがわまち)
 〃 3次メッシュコード 4929−17−01
 〃 緯度・経度 北緯32度45分15.8秒
           東経129度53分21.4秒
天然記念物指定 なし
撮影年月日 2015年3月27日

注1)環境省巨樹データベース(2000年フォローアップ調査)による





 路面電車が走る国道34号の北を、旧長崎街道が東西に走る(このあたりは「シーボルト通り」と呼ばれている)。旧街道から桜馬場中学校グラウンドの西に沿って120mほど北上、突き当たりを左折して40mほどで、このクスノキに出会える。
 クスノキが立つ場所は、臨済宗建仁寺派華嶽山春徳寺の山門前。
 ほんの狭い場所に立っていて、クスノキの周囲では土壌がまったく地表に顔を出していないと言っていいほど。
 クスノキが可哀想だと見る向きもあるだろうが、私は、このような環境でも伐られずに残されてきたことに、むしろ、このクスノキへの周囲からの思い入れが感じられるように思う。
 長崎は坂の町だ。狭い空間に多数の建築物を収容するため、普通は利用されそうにない急斜面も放っておかない。ここではヒトのための土地が貴重なのである。
 高度成長期を経た後は、土地確保の困難さがいっそう増したと思われる。クスノキの周囲がこうなったのはそのためだろうが、それでもクスノキ自体は伐られなかった。
 それは、春徳寺だけでなく、長崎市街全体に言えそうで、繁華な市街地にこれだけ多くの巨木が残る地区は珍しいように思われる。
 以下は全くの私見だが、原子爆弾の炸裂で、地上の構造物はほぼ灰燼に帰した。その光景は、単に有ったモノが無くなったと言うに留まらず、ここに住む人たちの記憶がリセットされたことを意味したのではなかろうか。
 その光景にも、よく見ると、惨劇に耐え、過去の記憶を繋いでくれるものがあった。その一つがこのクスノキである。当時の人々は、荒野に点される緑に、不屈の意志を見る一方、その健気さをとりわけ愛おしく思ったのではないだろうか。
 見当外れな想像なのかも知れないが、私には、このクスノキがそんな風に思われるのである。
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