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画像:勝興寺のイチョウ(経堂脇のイチョウ)
 経堂脇のイチョウ。目通り6.2m


画像:勝興寺のイチョウ(本堂前のイチョウ)
 「実ならずの銀杏」。目通り6.0m
名称 勝興寺のイチョウ (しょうこうじのいちょう)
名称の典拠 なし
樹種 イチョウ
樹高 27m/23m(注1)
目通り幹囲 6.2m/6.0m(注1)
推定樹齢 300年以上(注1)
所在地の地名 富山県高岡市伏木古国府
 
〃 3次メッシュコード 5537−10−44
 
〃 緯度・経度 北緯36度47分31.9秒
           東経137度03分11.8秒(注2)
天然記念物指定 なし
撮影年月日 2005年6月18日

注1)環境庁「日本の巨樹・巨木林 甲信越・北陸版」による。いずれも前者が経堂脇のイチョウで、後者が本堂前広場に立つ「実ならずのイチョウ」のデータ
注2)これは経堂脇のイチョウの位置





 雲龍山勝興寺は、浄土真宗本願寺派の名刹。
 境内の案内板によれば、文明3年(1471)、本願寺8世蓮如上人が開いた土山御坊(どやまごぼう。南砺市土山にあった)が勝興寺の濫觴。その後も、蓮如上人の子孫が代々住職を務めるなど、北陸布教の拠点となった。
 現在地への移転は天正12年(1584)。近世以降も、本願寺や前田家との結びつきを強め、越中国の触頭寺院として隆盛を極めたという。
 以下、案内板にはないが、さらに古い歴史を伝える寺伝もあったようだ。
 承久の変(1221)で佐渡に配流された順徳院の第3皇子成彦親王が親鸞に帰依、善空房信念として佐渡に一宇を創建したのが始まり。その際に順徳院より「殊勝誓願興業寺」の寺号を賜り、これが勝興寺の名のもとになった、というものである。このような寺伝があったということ自体が、勝興寺の繁栄ぶりを示していると思われる。
 伏木の港からほど近い高台のこの地には、古くは越中国府が置かれていたという。万葉歌人として有名な大伴家持も、天平18年(746)から、越中国司として在住したことがあるらしい。当時はもちろん、勝興寺もイチョウもなかった。しかし、家持が歩いたと同じ地面を踏みしめていることを思うと、感慨も湧いてくる。家持の歌について知ることの少ない私には、多分にミーハー的な感慨だけれども。
 実は、数年前に一度、勝興寺を訪れたことがある。たまたまその時は、国重文の本堂改修時にあたり、イチョウの付近は立ち入り禁止になっていた。今回が再度の来訪である。
 名刹に相応しい立派な伽藍に囲まれて(本堂、唐門、経堂など14棟が国重文)、イチョウの巨木が2本立っている。
 どちらかといえば、経堂と鐘楼の間に立つ方が立派だけれども、本堂前に立つ方が有名らしい。「実ならずのイチョウ」として、勝興寺七不思議の一つに数えられている。雄株だとすれば当たり前のことだが、そんな名をいただいている以上、そうではないのだろう。もっと近づいて観察したかったのだが、柵があって叶わなかった。
 
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