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名称 志波宝満宮のクスノキ
(しわほうまんぐうのくすのき)
名称の典拠 なし
樹種 クスノキ
樹高 20m(注1)
目通り幹囲 9.8m(注1)
推定樹齢 300年以上(注1)
所在地の地名 福岡県朝倉市杷木志波(宮原)(注2)
〃 3次メッシュコード 5030−06−31
〃 緯度・経度 北緯33度21分47.9秒
東経130度46分13.9秒
福岡県指定天然記念物(1969年9月4日、「志波宝満宮社叢」として境内林全体を指定)
撮影年月日 2009年8月1日
注1)環境庁「日本の巨樹・巨木林 九州・沖縄版」による
注2)2006年3月20日、1市2町が合併して朝倉市誕生。旧行政区は朝倉郡杷木町
筑後川右岸、宮原集落の中ほどに、志波宝満宮がある。祭神は玉依姫命(たまよりひめのみこと)、神功皇后(じんぐうこうごう)、八幡大神(=応神天皇。神宮皇后の子)の3柱。
主参道は筑後川の流れに向かって開いている。石鳥居を潜り、石段を登ってから振り返ると、滔々と流れる筑後川の水面が見える。
その途中、向かって左手斜面に、このクスノキが立っている。「連理のクス」ということだが、私の素人目には、もともと1本だったものの幹の一部が失われたように見えなくもない。
上図と下図は、いずれも同一のクスノキの写真である。見る角度によって、これほど印象の異なる樹木も珍しいのではなかろうか。
ところで、朝倉市公式WEBサイト中の「ふるさと人物誌」で見つけたのだが、志波宝満宮は、俳人小野房子(1898〜1959)の夫君直世が神職を務めた神社なのだそうだ。(以下はそれを参考)
房子は、川端茅舎に師事して句作を学び(と言っても、遠く離れていたので、もっぱら手紙のやりとりが主だったようだが)、当地では茅舎の指導のもとに句誌「鬼打木」を主宰した。
師の茅舎は胸を病んでいたが、あるとき朝倉行きを決意、宝満宮に滞在した。「鬼打木」会員の句作指導もあったが、併せて菜殻火(ながらび)を見たいと思ったからだ。菜殻火とは、菜種を採った後の殻を田畑で燃す火のことで、梅雨前の風物詩だった。
有名な「菜殻火は観世音寺を焼かざるや」は、このときの太宰府菜殻火吟行で詠んだ句である。なお、宝満宮境内には、「筑紫野の菜殻の聖火見に来たり」(茅舎)の句碑がある。
その2年後、川端茅舎は他界する。44歳だった。昭和21年(1946)には茅舎の師高浜虚子も宝満宮に来て、愛弟子を偲んだという。
昭和34年(1959)、小野房子は癌に冒されて身罷る。境内には、昭和38年(1963)建立の房子句碑もある。
「花楓日の行く所はなやかに」 |
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