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名称 質美八幡宮のスギ (しつみはちまんぐうのすぎ)
名称の典拠 なし
樹種 スギ
樹高 42m(注1)
目通り幹囲 5.7m(注1)
推定樹齢 不明
所在地の地名 京都府船井郡京丹波町質美(注2)
〃 3次メッシュコード 5235−63−50
〃 緯度・経度 北緯35度12分51秒
東経135度22分54秒
京丹波町指定天然記念物(2010年2月5日、「鎮守の古木」の名称で境内のスギとケヤキ各1本をまとめて指定)
撮影年月日 2010年6月4日
注1)環境庁「日本の巨樹・巨木林 近畿版」による
注2)2005年10月11日、船井郡内の3町が合併して京丹波町誕生。旧行政区は船井郡瑞穂町
質美小学校(※)から、府道26号(丹波三和線)を西に1kmほど行くと、北側に質美八幡宮の参道入口が見えてくる。ここから社殿まで、まっすぐ300mほど参道が続く。
左図でご覧のように、幅が5mほどもある立派な参道である。その両側にスギ並木が続く。なかに、ときどきヒノキも混じる。この参道並木は「京都の自然200選」にも選ばれている。
写真の大杉は、参道の入口から60mくらいだろうか。右手に立っている。並木の構成メンバーのなかでは最大である(第二のスギは、かなり奥の方に立っている)。近くに立つケヤキ(左下図中央右奥)もなかなか大きい。
このあたりは、昔、石清水八幡宮の荘園だったようだ。
最も古くは、治安3年(1023)10月5日付僧兼清解案(石清水文書)に「一庄家捌箇所」として「丹波国一所名質美庄」と記されているという。(平凡社「京都府の地名」より)
ここに八幡宮が勧請されたのも、ここが石清水八幡の荘園だったからだろう。社伝では、天暦年間(947〜57)に現在地に鎮座したとされているようだ。
鎌倉から戦国に至る不安定な武士政権の時代には、武士の横暴が横車を押し通すこともあったらしい。石清水八幡宮には天文6年(1537)の幕府奉行人連署奉書が現存し、それには「石清水八幡宮領丹波国質美庄事、為厳重神領当知行之処、近年右京兆同朋万阿依令押領、神役等及闕怠云々、■(はこがまえに口)測神慮者歟、以外次第也、所詮、早速可退彼等妨之趣、堅可被加下知之旨、対右京兆被成奉書訖、被存知之、如先々全領知、弥可被抽御祈祷精誠之由、所被仰下也、仍執達如件」と記されている。(これも平凡社「京都府の地名」より孫引き)
私の盆暗頭では詳細な理解は不可能だが、どうやら、右京兆(その当時は細川晴元)の同朋衆の一人万阿が質美庄を押領していて、そのため、神役を行うことが出来ないとの訴えに対し、もってのほかの事であるから、止めるよう下知させることを右京兆に命じた。よってしっかり祈祷に励むように、という内容だと思われる。
人間界はまた人間界で、さまざまなことが起きる。
このスギが生まれるより前のことかも知れないが。
※ 2011年3月31日、廃校となった(2015.1.11追記) |
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