ページタイトル:倭文神社のタブノキ ロゴ:人里の巨木たち

画像:倭文神社のタブノキA
 
 ↑本殿右奥のタブ ↓玉垣脇のタブ
 
画像:倭文神社のタブノキB


画像:倭文神社のタイコイチョウの実
  名称 倭文神社のタブノキ
    (しどりじんじゃのたぶのき)
名称の典拠 なし
樹種 タブノキ
樹高 18m/15m(注1)
目通り幹囲 5.1m/5.0m(注1)
推定樹齢 不明
所在地の地名 鳥取県倉吉市志津(しつ)
 〃 3次メッシュコード 5333−06−60
 〃 緯度・経度 北緯35度23分38.2秒
           東経133度45分20.7秒(注2)
天然記念物指定 なし
撮影年月日 2020年10月17日

注1)「今日もおでかけ」による
注2)これは左上図のタブノキの位置





 小鴨川(おがもがわ)と北谷川(きただにがわ)に挟まれた高台に志津集落があり、そこに倭文神社が鎮座する。
 案内板によると、延喜式神名帳にその名が載る古社で、伯耆国三の宮とされているようだ。(湯梨浜町宮内に鎮座する倭文神社は伯耆国一の宮とされている)
 主祭神は経津主神(ふつぬしのかみ、武勇の神)、武葉槌神(たけはづちのかみ、機織り・織物の神)、下照姫神(したてるひめのかみ、安産の神)の3柱。
 社号の由来についても説明があった。
 倭文(しどり)とはシヅオリから変化したもので、シヅは「日本古来の文様」、オリは「織り」だと考えられているらしい。
 昔、このあたりでは倭織(しづおり)が盛んだったらしい。倭文神社は、かつて『この地に移り住んだシヅオリを業とする技能集団「倭文部(しどりべ)」の一族が氏神として機織の祖神「武葉槌神」をお祀りしたのに起因する』とのこと。そして、その里が志津(しつ)となったと考えられているようだ。(名前に「津」や「浦」がつく集落は海岸近くに多いものだが、こんな内陸深くに何故? という疑問も解けた)
 倭文神社の社叢は倉吉市保存林に指定されている。(境内には「天然記念物」の表示も見受けられたが、文化財としての天然記念物指定は受けていない)
 それらのなかで2本のタブノキが幹囲5mを超えているようだ。左図に示した2本がそれである。
 ほかでは、イチョウに強く心を惹かれた。まだ巨木に達していないイチョウだが、1本の柄に2つの実をつけるタイコイチョウが見られるのである。もちろん大多数は普通の実だが、このイチョウではタイコイチョウとなる頻度が極めて高いように思われる。参道に沿って短時間探しただけで7組見つけた。
 思わず興奮してしまった。
 
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