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名称 大銀南木 (おおいちょうのき)
名称の典拠 現地の案内板(注1)
樹種 イチョウ
樹高 26m(注2)
目通り幹囲 11.6m(注2)
推定樹齢 740年(注3)
所在地の地名 青森県上北郡七戸町銀南木(いちょうのき)
〃 3次メッシュコード 6141−00−67
〃 緯度・経度 北緯40度43分20.3秒
東経141度05分21.5秒
青森県指定天然記念物(1956年5月14日指定)
撮影年月日 2005年8月2日(左写真)
2013年8月24日(少し大きめの画像)
注1)1982年3月に七戸町教育委員会が設置
注2)環境庁「日本の巨樹・巨木林 北海道・東北版」による
注3)この木は法身性西(ほっしんしょうさい、1189〜1273)が植えたとする伝承がある。無学の身から名を成した入宋僧であり、松島瑞巌寺の前身円福寺開山でもある法身は、その後、名声を嫌って十和田の地に至った。伝承と重ね合わせて計算すれば、これくらいだろうか
農林水産省奥羽種畜牧場の北西に農村公園がある。大銀南木(ここでは「銀杏」ではなく「銀南」と記す)は公園の西端に立っている。
下垂する多数の気根からの類推で「子守イチョウ」と呼ばれることもあるようだ。樹勢も良く、傍らに立つ若いイチョウは、伸びて地に達した大枝が発根したものらしい。
「立入禁止」の小さな立札はあるが、特に柵が設けてあるわけでなく、あとは訪問者の良識に任せます、ということなのだろう。この日も、遠巻きにしつつ、小学生グループが大イチョウの写生に訪れていた。
倉岡川上流のこの地は五庵川原と呼ばれ、上に記した法身との関係を伝えている。
法身は、もとの名を平四郎といい、真壁城主左衛門尉経明のもとで働いていた。ある冬の日、雪見の宴に主人の供をした平四郎は、主人の帰りを待つ間、履物を懐ろで温め続けた。しかし、差し出された履物が温かいのに気づいた主人は、平四郎が尻に敷いて寒さをしのいだと誤解し、したたか平四郎を打った。額を割られた平四郎は、雪のなかに倒れた。
それを機会に平四郎は故郷を出奔、仏教に道を求めた。が、所詮、無学の身。天台や真言の教義は理解できなかった。人づてに聞いた「難しい学問を必要としない」禅に一縷の望みを託し、思い切って入宋、名声高い径山の無準師範(ぶじゅんしばん)のもとで、尻の肉が腐るほど座禅に努め、ついに悟りを得た。
帰国した法身の高名を聞いて、経明主従4名が再会しにやってきた。法身は件の履物を示し、今日の自分があるのは、すべてこの履物の恩だと語った。感じ入った経明主従は法身の弟子となり、ここに庵を結んだ。
これが五庵川原(御庵川原とも)の名の起こりだという。井戸跡や礎石が最近まで残っていたそうである。 |
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