|
海野宿の街並み |
|
名称 白鳥神社の御神木
(しらとりじんじゃのごしんぼく)
名称の典拠 なし (私が勝手に命名)(注1)
樹種 ケヤキ
樹高 35m(注2)
目通り幹囲 5.8m(注3)
推定樹齢 700年(注4)
所在地の地名 長野県東御市本海野(もとうんの)(注5)
〃 3次メッシュコード 5438−42−25
〃 緯度・経度 北緯36度21分37.8秒
東経138度18分58.5秒
東御市指定天然記念物(「白鳥神社社叢」として1981年5月14日指定)
撮影年月日 2006年11月4日(上・中)
2002年10月12日(下)
2017年7月27日(少し大きめの画像)
注1)木の前に小さな立札があって、それには「御神木」と記されていた。設置者は記されていないが、白鳥神社が設置したと思われる
注2)環境庁「日本の巨樹・巨木林 甲信越・北陸版」による
注3)同上。この木を根上がりと見て、注連縄の上方1mほどの所を測定したと思われる。地上1.3m付近はもっと太い(上記注1の立札には7.3mとあった)
注4)立札の記載値
注5)平成16年(2004)4月1日に東部町と北御牧村が合併して東御市誕生。旧行政区は小県郡東部町
白鳥神社は、かつての北国街道海野宿の入口。蛇行する千曲川がぶつかる辺りである。
海野宿は江戸時代を通じて栄えたが、国鉄信越本線が開通し、国道18号線がさらにその向こうを通って、往来する人々からは忘れ去られた。
明治以降、宿場としての役目を終えた海野は、今度は養蚕業で活気を取り戻した。「卯建(うだつ)」の上がった家々が当時の繁栄を偲ばせる。
その後のめまぐるしい変遷の中で、交通の要所から外れたことがむしろ幸いし、海野の美しい街並みは旧景のまま受け継がれた。そして、昭和62年(1987)4月28日、古い姿のまま、現代に市民権を得た。「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されたのである。
また、東部町教育委員会が設置した案内板によれば、この白鳥河原は、木曽義仲が挙兵した地であるらしい。ここは豪族海野氏の根拠地であり、白鳥神社もその祖神を祭神としている。
集まった将兵は約3千。ここから徐々に数を増やしながら、北陸経由で上洛したのは人口に膾炙するところだ。
御神木のケヤキは、参道の石畳を社殿に向かって左側、境内の中央近くに立っている。北国街道の参勤交替は眺めたことだろうが、義仲の挙兵の頃にはまだ存在しなかったようである。 |
|