ページタイトル:篠神社の桜 当サイトのシンボル

画像:篠神社の桜 名称 篠神社の桜 (しのじんじゃのさくら)
名称の典拠 なし
樹種 エドヒガン
樹高 不明 (低い)
目通り幹囲 4.6m(注1)
推定樹齢 不明
所在地の地名 岩手県遠野市小友町49地割(土室)
 〃 3次メッシュコード 5841−73−49
 〃 緯度・経度 北緯39度17分26.6秒
           東経141度29分15.7秒
天然記念物指定 なし
撮影年月日 2024年4月18日

注1)地表面から1.3mの高さで幹囲を実測





 JR釜石線綾織(あやおり)駅の南方に、桧沢山(819m)と新田山(661m)の二つの山がある。それら2座の鞍部を越える峠が土室峠だ。
 綾織駅側から土室峠を越えて下って行くと、最初の集落の手前、左手に篠神社が鎮座する。(峠から下る際、車窓から社殿は見えにくいが、赤い鳥居と桜はよく見える)
 この桜と篠神社は「篠神社と桜」の名称で遠野遺産第94号(複合遺産)の認定を受けている。
 遠野市公式ウェブサイトに載る説明をそのまま引用しよう。
 『葛西の浪士がこの地に潜伏して旅人などを襲ったので、寛永5年(1628)南部家士杉岡如意勝嘉が説得して帰順させた後、寛永8年(1631)武器を地に埋め、その上に社を建てて篠権現と称した。種痘が行われなかった時代には疱瘡除疫神として近郷に名高く、参拝者が多かったという。維新後、土室神社と改称し少彦名命を祀るが、後に巖龍神社に合祀されている。桜は開拓記念として植えられたものと伝えられる。(後略)』
 篠神社と桜が何故「複合遺産」なのか今一つすっきりしないが、浪士某が武器を放棄して帰順したということから、もしかして、彼が農民となってこの地に土着、周囲を開拓するときに桜を植えたというのだろうか?
 篠神社と開拓がまったく無関係ならそれぞれ別々に遠野遺産に認定すればよいわけで、「複合遺産」の言葉がどうも気になってしまう。
 それはさておき、桜はかなりの古木で、かなり傷みも大きい。
 大きな樹冠を戴く時代もあっただろうが、今は主幹を失い、少ない大枝もみな切り詰められて、ずいぶん小さくなった。
 寂しい気持ちもするが、逆に考えれば、生命の規模を小さくすることで、弱った体を維持しやすくなったとも言える。悪いことばかりではない。
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