ページタイトル:下塚の松 当サイトのシンボル

画像:下塚の松(幹と並ぶ)

画像:下塚の松
名称 下塚の松 (しもづかのまつ)
名称の典拠 現地の標柱(注1)
樹種 クロマツ
樹高 18m(注2)
目通り幹囲 4.1m(注2)
推定樹齢 伝承300年以上(注3)
所在地の地名 山形県東田川郡庄内町廿六木(とどろき)(注4)
 〃 3次メッシュコード 5839−27−33
 〃 緯度・経度 北緯38度51分40.6秒
           東経139度54分44.4秒
天然記念物指定 なし
撮影年月日 2013年8月5日

注1)現地の標柱に「廿六木下塚の松活性化事業」の文字が見られる。なお下塚の読み方については未確認
注2)環境省巨樹データベース(2000年フォローアップ調査)による
注3)案内板の伝承を鵜呑みにすれば、17世紀に植えられたと考えられる
注4)2005年7月1日、余目町と立川町が合併して庄内町誕生。ここは旧余目町





 JR羽越本線余目(あまるめ)駅の北方に廿六木(とどろき)という集落があり、集落の北端に大きなクロマツが立っている。
 松の根元には小さな土盛りがある。土盛りの上には石祠、下に鳥居がある。「下塚」と呼ばれているらしい。
 マツの正面の案内板に、塚の由来についての説明があった。(2004年4月、廿六木部落建立)
 寛永年間(1624〜45)のこと。廿六木村に疫病がはやり、村の約3分の一にあたる12〜3家族が死に絶えた。そのとき、二人の行者(千光院、容海)が来て、一心に悪疫退散の祈祷を続けたところ、一人、また一人と快癒してゆき、ついに疫病は収まった。喜んだ村人は、この地に留まるよう懇願。千光院は森屋伝兵衛宅に、容海は太田利左エ門宅に住むようになった。そして、両者の遺言により、千光院は村の南口(上塚)に、容海は北口(下塚)に葬られた。死後もその場所で、村に災厄が降りかからぬよう見守っているというわけである。
 塚を築く際、上塚にはエノキが、下塚にはマツが植えられたそうである。

※グーグルのストリートビューに姿が見えない。原因は不明だが、伐採されてしまったようだ。(2023/11/04追記)
 
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