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名称 知久平城址梶曲輪の桜
(ちくだいらじょうしかじくるわのさくら)
名称の典拠 現地の案内板(注1)
樹種 エドヒガン
樹高 10m未満(注2)
目通り幹囲 3m(注2)
推定樹齢 700年(注3)
所在地の地名 長野県飯田市下久堅知久平
〃 3次メッシュコード 5337−16−68
〃 緯度・経度 北緯35度28分33.8秒
東経137度51分03.4秒
天然記念物指定 なし
撮影年月日 2022年4月6日
注1)下久堅まちづくり委員会・下久堅地区花ふぶき会・知久平城址保存会・下久堅小学校の4者が連名で設置(設置年月不詳)
注2)まったくの目分量
注3)上記案内板による
JR飯田線駄科(だしな)駅の東方約1km。天竜川左岸の高台に下久堅(しもひさかた)小学校がある。
ここにはかつて知久平城があった。
当地の豪族知久氏が鎌倉時代に築いた城で、戦国時代を経て最後は徳川家康の家臣菅沼定利(すがぬまさだとし)が居城するが、秀吉による徳川氏の関東移封に伴って菅沼氏も上野国に移り、知久平城は廃城になった。
樹名の「梶曲輪」についてだが、上記案内板によると、小学校前の道路に沿って外堀があり、その内側にあたる場所の地名は、かつて梶車(かじぐるま)と呼ばれていた。それが変化して「梶曲輪」となったと言われているそうである。
桜が立つのは小学校の校門横。鎌倉時代中期に知久氏が植えたと伝えられているようだ。それが樹齢700年の根拠と思われる。(実際にはもっと若いと思われるが)
私が訪ねた日は、下久堅小学校の入学式があったようで、満面の笑みを湛えつつ、桜の前で並んで記念撮影する家族の姿が何組も見られた。 |
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