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名称 下田のイチョウ (しもだのいちょう)
名称の典拠 現地の案内板(注1)
樹種 イチョウ
樹高 21m(注2)
目通り幹囲 12.3m(注2) 実際はもっと細い
推定樹齢 650年(注3)
所在地の地名 熊本県熊本市南区城南町隈庄(注4)
〃 3次メッシュコード 4930−05−48
〃 緯度・経度 北緯32度42分14.5秒
東経130度43分39.4秒
国指定天然記念物(1937年12月21日指定)
撮影年月日 2009年7月30日
注1)設置者名・設置年月とも不詳
注2)環境庁「日本の巨樹・巨木林 九州・沖縄版」による
注3)上記案内板による
注4)2010年3月23日、熊本市に合併。旧行政区は下益城郡城南町。さらに2012年4月1日、政令指定都市への移行に伴い、住所表示が一部変更された
城南町の中心部、隈庄(くまのしょう)信号の近くに立っている。
地上1.5mほどで、2幹に分かれている。合体木ならどうということはないのだが、この樹姿が単幹のイチョウでは珍しいということなのだろうか。国が天然記念物に指定する際、「目通幹圍(囲)約九メートル二大枝ニ分ル公孫樹ノ巨樹トシテ有數(数)ノモノナリ」(括弧内は現代の用字)と解説している。
現地の案内板による目通りデータは、分かれた2幹をそれぞれ測っており、「南幹五・九メートル/北幹六・四メートル」。環境庁データは、測定要項に則ってそれらを合算したものだが、実際に受ける印象はもっとずっと細い。
イチョウが立つ場所は、この地方第一の旧家下田家の庭だったところ。もちろんイチョウの名に冠せられた「下田」は、下田家を指している。国の天然記念物名称に個人名が用いられているのも珍しい。(講談社「日本の天然記念物」より) ただし、その後、町が寄贈を受けたらしく、案内板には、所有者は城南町とあった。
イチョウは、天文年間(1532〜54)には既に存在していたことが「下田家旧記」に記されているという。今から450年以上も昔である。
根元には、「世を重ね恵みに会いて栄えゆく銀杏の末は千枝八千枝(ちえやちえ)」の歌碑がある。下田理平氏の歌だそうである。
当時のすばらしい樹勢に下田家の繁栄を重ね合わせ、イチョウを一種の守護神のように考えておられたのかも知れない。 |
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