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名称 清水のクスノキ (しみずのくすのき)
名称の典拠 なし
樹種 クスノキ
樹高 不明
目通り幹囲 9.7m(注1)
推定樹齢 1000年(注2)
所在地の地名 福岡県福岡市南区清水3丁目
〃 3次メッシュコード 5030−23−73
〃 緯度・経度 北緯33度34分05.5秒
東経130度25分17.9秒
天然記念物指定 なし
撮影年月日 2017年4月1日
注1)地表面から1.3mの高さにおける幹囲を実測
注2)案内板(設置者名・設置年月とも不詳)による
環境省巨樹データベースに幹囲945cmのクスノキが載っているのは知っていた。書籍版の環境庁「日本の巨樹・巨木林」には3次メッシュコードも記されているのだが、コードが示す範囲は建物の密集する市街地まっただ中。しかも個人所有の巨木ということで、それ以上詳しい情報もなく、このクスノキに会うのは諦めていた。
ところが思いがけず、「福岡県在住の巨樹ファン」の方から、このクスノキについての情報をいただいた(最大限の感謝)。いただいたメールには詳細な位置も記されており、その位置を探ってみると、グーグル・ストリートビューで大クスがはっきり確認できた。これは、是非とも訪ねて行かずばなるまい。
会ってみると、データに違わない素晴らしい巨木であった。念のために実測した幹囲は973cm。今も着実に大きくなっている。
「楠の木屋敷」と題する案内板によると、今から2百余年前に著された「筑前国続風土記附録」に、このクスノキが載っているらしい。その頃ここは「楠の木屋しき」と呼ばれていたようで、「古しへ藤左近・藤右近とて、菅公(菅原道真のこと)の御跡を慕ひ、筑紫に下りし者の住居の所と云う」と記されているそうである。
かつては背も高く、大きな樹冠が遠くからも目立ったのだろう。江戸時代には、参勤交代の帰路、ここから北に8kmほども離れた名島橋(なじまばし。多々良川(たたらがわ)河口に架かる)からこの大クスが見えたそうで、もうお城も近いと喜んだという話が伝わっているようだ。
昭和20年(1945)6月19日の福岡大空襲で、この大クスも燃えた。幸い、樹皮の奥までは火が回らずに済んだものか、その後、蘇生することができた。(上部が失われているのは空襲のためだろうか?)
個人所有でこれだけの大クスは貴重である。自由に見学できるよう便宜を図って下さっていることに感謝したい。 |
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