ページタイトル:志布志の大クス 当サイトのシンボル

画像:志布志の大クス_1

画像:志布志の大クス(幹と並ぶ)
 人と比べると巨大さがわかる

画像:志布志の大クス_2
名称 志布志の大クス (しぶしのおおくす)
名称の典拠 現地の案内板(注1)
樹種 クスノキ
樹高 24m(注1)
目通り幹囲 17.1m(注1)
推定樹齢 伝承1200年(注1)
所在地の地名 鹿児島県志布志市志布志町安楽(あんらく)(注2)
 〃 3次メッシュコード 4731−10−76
 〃 緯度・経度 北緯31度29分06.9秒
           東経131度04分35.5秒
国指定天然記念物(1941年11月13日指定)
撮影年月日 2009年7月26日

注1)環境庁「日本の巨樹・巨木林 九州・沖縄版」による
注2)2006年1月1日、曽於郡内の3町が合併して志布志市誕生。旧行政区は曽於郡志布志町





 志布志の大クスに会っての第一印象は、やはり「大きい!」の一言。
 クスノキは、山宮神社の参道、向かって右手。周囲を観察路が巡っている。一回りしてみて、再度、巨大さに感嘆。国から天然記念物指定を受けたのも頷ける。
 観察路の一ヶ所から、クスノキに向かう通路があり、赤い柱に何か書いてある(左下図参照)。見ると、「大楠の精気をいただきましょう」。そして、さらに「おこころざし入れ口→」とあり、パイプの口が開いている。ここにコインを入れると、パイプを通って、クスノキの空洞内に設置された箱に入るようになっている。
 クスノキに精気があるのか、コインを入れるとそれが手に入るのかなどと、野暮な議論は止しにして、私も寸志を納めさせてもらった。私の家からはずいぶん遠いが、ここにこんな大クスが生きているなんて、痛快ではないか。守ってくださっている方々への感謝の気持ちからである。

画像:志布志の大クス_3

 大クスが立つ山宮神社は、天智天皇(626〜672)との深い関係を伝えている。
 社伝によれば、天皇が薩摩国頴娃(えい)行幸の砌り、志布志安楽の浜に船を着けた。頴娃では玉依姫との間に乙姫ができた。その後、都に戻る際、死後は当地に廟を築くよう命じたため、和銅元年(708)、天智天皇の廟を御在所岳に建て、山宮大明神と号した。また、その麓には第一皇子の大友皇子を祀る山口大明神を建てた。
 100年ほど経た大同2年(807)、山宮大明神を麓に移し、山口大明神および、天智天皇の后倭姫(やまとひめ)を祀る鎮母(じつぼ)神社、天智天皇の次女持統天皇を祀る若宮、玉依姫を祀る中之宮、乙姫を祀る蒲葵(びろう)御前社を合祀して、山口六社大明神となった。(この名は明治の初めに山宮神社と改称するまで続いた)
 こうしてみると、祭神は、それぞれ実在したかどうかは別にして、天智天皇に近しい人々ばかりである。ほかに類例がないのではあるまいか。
 この大クスも、天智天皇お手植えと伝承されている。
 ところで、かつては、参道の反対側にも同様な大クスが立っていたらしい。残念ながら、百年ほど遡る明治26年(1893)に枯死してしまった。
 こんな木が向かい合って2本も立っていたなんて!
 さぞかし壮観だったことだろう。
 
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