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名称 盛久寺の臥龍梅 (せいきゅうじのがりゅうばい) 名称の典拠 「樹の国・日本」(注1) 樹種 ウメ 樹高 7m(注2) 目通り幹囲 3m(注2) 推定樹齢 400年以上(注3) 所在地の地名 岐阜県恵那市山岡町馬場山田 〃 3次メッシュコード 5337−03−22 〃 緯度・経度 北緯35度21分21.9秒 東経137度24分29.5秒 恵那市指定天然記念物(2004年10月25日指定) 撮影年月日 2023年4月23日 注2)「樹の国・日本」による 注3)1995年10月に盛久寺が設置した案内板による 臥龍梅の曹洞宗東巌山盛久寺は、明知鉄道花白温泉(はなしろおんせん)駅の北東約150m。国道363号(418号との重複区間)沿いの禅寺である。 盛久寺が設置した案内板によると、慶長2年(1597)の創建で、開山は体岩雲恕大和尚。 左図の臥龍梅は開山禅師お手植えと伝えられ、品種は中国伝来の丹犀(たんさい)。八重咲きの紅梅だそうである。明治初期の仏教学者大内青巒(おおうちせいらん、1845〜1918)が盛久寺に立ち寄った際、臥龍梅の影香を讃える五言絶句を作った。その掛軸が残っているそうである。 その後、傷みがひどくなったため、平成7年(1995)に造園樹医によって修復されたらしい。(『樹形等充分研究いたし保護施工完了す』とある) ところで、以下は素人の妄言なのかも知れないが、思っていることを記したい。 ここ盛久寺に限らず、樹木治療の一環として樹脂など人工物で樹木の一部を補うことが流行したことがある。しかし、これは完全に失敗だったと思う。何故なら、樹木は生きている限り生長しようとするのに、人工物は生長することなく朽ちてゆくだけだからだ。 修復直後は両者がマッチして整った美しい形を再現出来たかも知れないが、時が経つとともに生長する樹木と成長出来ない人工物の間には物理的な空隙が生じ、両者はだんだん別物になってゆく。最後は、生気ある樹木のすぐ隣に、朽ちつつある汚い人工物が寄り添うことになってしまう。 これは誰が悪い訳でもない。樹木にとって「良かれ」と思ってしたことが、そうではなかったというだけのことだ。 科学的な樹木保護・樹木蘇生の歴史はまだ浅い。失敗もまた歴史の一齣ということになるのだろう。 |
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