ページタイトル:桜ヶ岡出世地蔵尊のケヤキ 当サイトのシンボルマーク

画像:桜ヶ岡出世地蔵尊のケヤキ 名称 桜ヶ岡出世地蔵尊のケヤキ
    (さくらがおかしゅっせじぞうそんのけやき)
名称の典拠 現地の案内板(注1)
樹種 ケヤキ
樹高 18m(注2)
目通り幹囲 5.1m(注3)
推定樹齢 350年以上(注2)
所在地の地名 福島県会津若松市東栄町(ひがしさかえまち)
 〃 3次メッシュコード 5639−17−84
 〃 緯度・経度 北緯37度29分40.3秒
           東経139度56分00.2秒
天然記念物指定 なし
撮影年月日 2023年10月25日

注1)会津若松市が設置した「自然景観指定緑地」案内板(設置年月不詳)
注2)福島県公式ウェブサイト中「ふるさと回廊あいづ(名木)」による
注3)「出会った巨樹」による





 鶴城(かくじょう)小学校の北東約200m、市道を挟んで穴澤病院の向かい側に桜ヶ岡出世地蔵尊があり、地蔵堂のすぐ横に大きなケヤキが立つ。
 「ふるさと回廊あいづ」は幹囲を4.2mとしているが、とてもそんな程度ではない。それで、「出会った巨樹」の数値を借用させていただいた。
 案内板によると、安置される石地蔵は、最上藩主保科正之の家臣安部井又左エ門の所有で、島原の乱では又左エ門の身を守り、帰国後は出世を重ねさせてくれた。のち、寛永20年(1643)に藩主の会津移封に随従して現在地に移転。その後、戊辰戦争で安部井邸は焼けてしまったが、昭和10年(1935)、当地を住宅地として再開発する際に飯島伊三郎が地蔵堂を再建して今日に至るという。(現在の所有者は飯島氏)
 推定樹齢から逆算すると、このケヤキは地蔵堂移転の際に植えられたと考えられているようだ。
 市街地真っ只中にあり、すぐ横を市道が通っている。毎日排気ガスを浴びさせられているわけだが、今のところ健康を維持しているように見える。
 住宅地化のときに伐られなかったのもお地蔵さんのおかげだろうか。
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