ページタイトル:翔龍桜 当サイトのシンボルマーク

画像:翔龍桜

 満開の翔龍桜
名称 翔龍桜 (しょうりゅうざくら)
名称の典拠 現地の案内板(注1)
樹種 エドヒガン
樹高 不明
目通り幹囲 3.5m(注2)
推定樹齢 300年(注3)
所在地の地名 福島県二本松市二伊滝(にいたき)1丁目
 〃 3次メッシュコード 5640−33−14
 〃 緯度・経度 北緯37度36分01.6秒
           東経140度25分28.5秒
天然記念物指定 なし
撮影年月日 2024年4月5日(咲き初め)
        2024年4月10日(満開)

注1)「翔龍桜と佐久間織部勝親殿の墓」と題した案内板(2016年3月11日に龍泉寺と佐久間公を偲ぶ会が連名で設置)
注2)まったくの目分量
注3)福島県観光復興推進委員会のウェブサイト「ふくしまの旅」による





 翔龍桜が立つ曹洞宗永松山龍泉寺は、霞ヶ城(二本松城)があった城山のすぐ西。龍泉寺の前には西谷棚田があって、その間をかつての奥州街道が通っていた。
 この翔龍桜について、次のような話が伝わっている。
 信濃国(長野県)長沼藩第4代藩主佐久間織部勝親(さくまおりべかつちか)は、徳川5代将軍綱吉の側小姓に任ぜられたが、病といつわって出仕しなかった。それを幕府に咎められて長沼藩は改易、勝親については二本松藩主丹羽長次(にわながつぐ)への御預けとなった。
 長次は城下に屋敷を用意し、罪人である勝親を温かく見守っていたようだが、勝親は赦免を待たずして享年23歳の若さで死没。亡骸は龍泉寺に葬られた。
 その時に植えられたのがこの翔龍桜だという。(2つの案内板の内容を総合)
 飛び立つことなくして早世した勝親を悼んで「翔龍桜」と名付けられたのだろうか。
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