ページタイトル:羅漢寺のスギ 当サイトのシンボル

画像:羅漢寺のスギ(幹と並ぶ)


画像:羅漢寺参道
 羅漢寺参道

画像:禅海堂
 禅海堂
名称 羅漢寺のスギ (らかんじのすぎ)
名称の典拠 なし
樹種 スギ
樹高 40m(注1)
目通り幹囲 6.3m(注1)
推定樹齢 300年以上(注1)
所在地の地名 大分県中津市本耶馬渓町跡田(注2)
 〃 3次メッシュコード 5031−11−75
 〃 緯度・経度 北緯33度28分50.5秒
           東経131度11分06.5秒
天然記念物指定 なし
撮影年月日 2010年3月21日

注1)環境庁「日本の巨樹・巨木林 九州・沖縄版」による
注2)2005年5月1日、中津市に合併。旧行政区は下毛郡本耶馬渓町





 菊池寛の小説「恩讐の彼方に」で有名になった「青の洞門」の近くに、曹洞宗耆闍崛山羅漢寺(ぎしゃくつせんらかんじ)がある。
 案内板によれば、インドから渡来した法道仙人が大化元年(645)に開いた古刹だという。
 時代が下って、暦応の頃(1338〜42)、臨済僧円龕昭覚(えんがんしょうかく)がこの地に来て寺を再興、訪ね来た逆流建順(ぎゃくりゅうけんじゅん)も加わって、延文5年(1360)までの間に3千7百余体の石像を刻んだ。青の洞門の完成より400年ほど昔の話である。
 慶長5年(1600)には曹洞宗に転じたが、寺容が大きく変わることはなかっただろうと想像する。

画像:サツマイナモリ
参道脇に咲いていたサツマイナモリ 

 石畳の参道をしばらく進むと、石造りの仁王像を安置する仁王門に出る。
 標記のスギは仁王門のすぐ先。すらっとした姿のスギである。「千年杉」と称されることもあるようだ。
 本当に樹齢が千年だとしたら、山内に多くの羅漢像が安置される前から山内を知っていることになるが、そう考えるのはちょっと無理だろう。
 なお、参道途中には、「青の洞門」を掘削した僧禅海に因む禅海堂もある。
 (私事になるが、禅海は越後高田藩士の子に生まれたらしい。その越後高田に住む私にとっては、その人物像に、人一倍興味を引かれる)
 
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