ページタイトル:おやど橋のタブノキ ロゴ:人里の巨木たち

画像:おやど橋のタブノキ(全景)

画像:おやど橋のタブノキ
名称 おやど橋のタブノキ
    (おやどばしのたぶのき)
名称の典拠 「津幡町観光ガイド」(注1)
樹種 タブノキ
樹高 10m(注2)
目通り幹囲 6.3m(注2)
推定樹齢 700年(注2)
所在地の地名 石川県河北郡津幡町庄
 〃 3次メッシュコード 5536−05−08
 〃 緯度・経度 北緯36度40分18.5秒
           東経136度44分01.3秒
天然記念物指定 なし
撮影年月日 2016年9月25日

注1)津幡町役場が運営するウェブサイトの一つ
注2)上記「津幡町観光ガイド」による





 JR七尾線「中津幡」駅の西約600m。市街地を東から西に流れる津幡川(つばたがわ)にかかる橋が「御旅館橋(おやどばし)」である。
 津幡はかつての北陸道の宿場町で、この橋の北詰のあたりに脇本陣角屋(かどや?)があった。そして、その対岸には本陣御旅屋(おたや)があった。橋は本陣と脇本陣を結んでいたわけである。
 当時は、今より川幅が狭かったようだが、大正10年(1921)と昭和37年(1962)〜44年(1969)の二度の改修工事で、川幅が広げられたという。当然、橋も長くなった。
 左図は、その御旅館橋北詰に立つタブノキである。
 ご覧のように、切り立った岸から横向きに生えている。
 しかし、最初からこんな姿だったわけではない。
 もともと、このタブノキは角屋の庭に立っていたのである。それが、津幡川の拡幅により、かつての角屋の土地が削られ、もう後が無い状況になってしまった。
 どなたの提案かは知らないが、川幅を広げて新しく護岸工事をする際に、このタブノキは残そうということになったらしい。(以上、「津幡町観光ガイド」を参考)
 昭和37〜44年といえば、高度成長期のまっただ中である。極端な言い方をすれば、経済成長のためなら自然破壊も厭わぬ時代であった。そんななかでの英断に、巨木を愛する者として拍手を送りたい。
 おかげで約半世紀を経た今も、楽しませていただけることとなった。
 ただ、観察できる大きさ(幹囲)については、残念ながら上記データよりもかなり小さいように思われた。
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