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↑根の側から ↓反対側から
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名称 御茶屋跡のアコウ (おちゃやあとのあこう)
名称の典拠 なし
樹種 アコウ
樹高 13m(注1)
目通り幹囲 5.5m(注2)
推定樹齢 300年以上(注1)
所在地の地名 熊本県上天草市大矢野中(注3)
〃 3次メッシュコード 4930−63−55
〃 緯度・経度 北緯32度32分57.1秒
東経130度26分18.1秒
天然記念物指定 なし
撮影年月日 2011年8月7日
注1)環境庁「日本の巨樹・巨木林 九州・沖縄版」による
注2)上記環境庁資料では7.2mとあるが、それほどの大きさはなさそうだ。案内板(2009年1月31日に上天草市教育委員会が設置)にあった5.5mが妥当なところだろう
注3)2004年3月31日、天草郡内4町が合併して上天草市誕生。旧行政区は天草郡大矢野町
柳港の西を走る県道107号(満越城本線)沿いに立つアコウ。健全だったときの様子がわからないが、強風で倒れたものがそのまま生きている、という風に見えた。
アコウのすぐそばには、市史跡の御茶屋(茶室)跡がある。案内板に、この茶室で起きた出来事が記されていた。要約して紹介しよう。(案内板は1991年11月30日に旧大矢野町教育委員会が設置)
慶長17年(1612)、唐津藩嫡男と島津家息女の縁組みが調い、島津家家臣伊勢平左衛門が結納の使者となった。寺沢家では、一行を労うため、富岡城代高畑中兵衛(忠兵衛?)が出迎え、ここ大矢野柳の茶室で宴を催した。
実は平左衛門には悪い酒癖があった。慰労の席でも、最初は固辞していたものの、飲み始めると止まらない。正体を無くし、ついには婚家である寺沢家まで侮辱する始末。たまりかねた城代は、一刀のもとに斬り捨て、自らも切腹してしまった。祝事であるはずが、大変なことになってしまったのである。
幸い、島津藩主は聡明であった。家臣の無礼を謝し、城代の忠節を称えて禍根を残さなかった。婚儀も滞りなく執り行われたそうである。
まさにここで、そんな緊迫した一瞬と、血なまぐさい出来事があったのだ。アコウには可哀想だが、そのおどろおどろしい姿と何か呼応するものがあるようにも思えてしまう。
御茶屋跡には、今も茶室の石垣と井戸が残っているそうである。 |
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