ページタイトル:大村神社のクスノキ ロゴ:人里の巨木たち

画像:大村神社のクスノキ(幹と並ぶ)

画像:大村神社のクスノキB
名称 大村神社のクスノキ
    (おおむらじんじゃのくすのき)
名称の典拠 現地の樹名板(注1)
樹種 クスノキ
樹高 35m(注2)
目通り幹囲 10.4m(注2)
推定樹齢 200〜299年(注3)
所在地の地名 佐賀県唐津市浜玉町五反田(注4)
 〃 3次メッシュコード 5030−10−25
 〃 緯度・経度 北緯33度26分39.5秒
           東経130度04分01.3秒
天然記念物指定 なし
撮影年月日 2015年4月2日

注1)「さが名木100選」の一つであることを示す樹名板(2004年3月に佐賀県が設置)
注2)環境省巨樹データベース(2000年フォローアップ調査)による
注3)環境庁「日本の巨樹・巨木林 九州・沖縄版」による。なお、上記樹名板では800年とされている
注4)2005年1月1日、唐津市に合併。旧行政区は東松浦郡浜玉町





 玉島川右岸、道を挟んで玉島小学校の隣に大村神社が鎮座している。
 祭神は藤原広嗣(ふじわらのひろつぐ)。聖武天皇の時代における吉備真備(きびのまきび)や僧玄ム(げんぼう)の政敵で、天平12年(740)、大宰少弐への左遷を不服として反乱を起こしたが敗れ、当地肥前国唐津で刑死した人物である。
 大村神社の案内板によると、広嗣の死後、天変地異や悪疫が続き、これを広嗣の怨念のなすところと考えた朝廷は玄ムを筑前の観世音寺に送って弔わせようとしたが、まもなく玄ムは死去。広嗣の政敵であった真備も筑紫守、次いで肥前守に左遷された。
 天平勝宝4年(752。東大寺大仏の開眼供養が行われた年)、真備は広嗣の霊を慰めるため、当地に無怨寺を建立。明治の神仏分離で大村神社となったものらしい。
 こうしてみると、神社の遠い創立者は真備ということになるわけだが、ある意味で当然とはいえ、案内板では祭神の広嗣を賞賛し、真備を悪役としているように読み取れるのが面白い。(失礼)
 本殿の斜め後方に大きなクスノキが2本立っている。
 上図の幹囲データは、2本を一体とみて2本分の幹囲を合算したと思われるが、融合木である可能性が大きいのではなかろうか。
 なお、少し離れてもう1本クスノキ巨木が立ち、これもなかなか大きい。(環境省データでは幹囲5.8m)
 これら3本はほぼ同樹齢のように思われる。
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