|
|
|
名称 春日神社の御神木
(かすがじんじゃのごしんぼく)
名称の典拠 なし
樹種 クスノキ
樹高 20m(注1)
目通り幹囲 9.1m(注1)
推定樹齢 300年以上(注1)
所在地の地名 大分県大分市勢家町4丁目
〃 3次メッシュコード 4931−64−87
〃 緯度・経度 北緯33度14分40.5秒
東経131度35分53.6秒
天然記念物指定 なし
撮影年月日 2010年3月25日
注1)環境庁「日本の巨樹・巨木林 九州・沖縄版」による
長距離大型フェリーが接岸する大分港の東に春日神社がある。かつては海岸が近くまで迫り、春日浦と呼ばれていたこともあったようだ。
祭神は武甕槌命(たけみかづちのみこと)、経津主命(ふつぬしのみこと)、天津児屋根命(あまつこやねのみこと)、姫大神(ひめおおかみ)の4柱。
平凡社「大分県の地名」によると、天平年間(729〜49)に石川年足が国分寺建立のため下向、大和三笠山の四所大神を勧請した(春日神社略記)とも、貞観2年(860)に豊後国司藤原世数が南都の宗祠を国府に移祠した(豊後国志)とも伝える古社だ。
大友氏の時代になると、その厚い崇敬を得て、社殿を整え、南隣には神宮寺と蓬莱山が築かれた。
しかし、笠和郷の宗廟とされた立派な神社は、天正14年(1586)、島津軍に侵入され、兵火で灰燼に帰してしまった。
慶長8年(1603)府内藩主竹中重利が再建に着手、同12年(1607)江戸からの帰途、播磨灘であわや遭難という際、春日大明神に祈願して無事を得たとして、境内に松10万本を植えたという話も伝わっている。10万本の松を植えることが出来るだけの広大な面積を有していたわけだ。
その後も、江戸時代を通じて繁栄を保ったが、第二次大戦のアメリカ軍による焼夷弾攻撃で、再び焼け野原となってしまった。現在の建物は、その後に再建されたものである。
社叢の木々も火災に巻き込まれたことと思うが、幸い生き延びることが出来たものもある。
境内入口、向かって左に立つクスノキもその一つ。これが社叢中、最大の樹木だ。
大小2本が根元で繋がり、2本合わせて一つの大きな樹冠を形成している。手前が駐車場で、よく見通せることもあって、なかなか雄大な姿である。
大分県指定特別保護樹林「春日神社の森」の顔と言ってよさそうだ。 |
|