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社殿裏手に架かる「ドイツ橋」 |
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名称 大麻比古神社のクスノキ
(おおあさひこじんじゃのくすのき)
名称の典拠 天然記念物指定名称
樹種 クスノキ
樹高 20m(注1)
目通り幹囲 8.1m(注1)
推定樹齢 1000年(注2)
所在地の地名 徳島県鳴門市大麻町板東
〃 3次メッシュコード 5134−24−00
〃 緯度・経度 北緯34度10分13秒
東経134度30分09秒
鳴門市指定天然記念物(1995年6月12日指定)
撮影年月日 2012年3月22日
注1)環境庁「日本の巨樹・巨木林 中国・四国版」による
注2)現地の樹名板(設置者名・設置年月とも不詳。大麻比古神社が設置?)
大麻比古神社は、阿波国一宮(いちのみや)とされる神社である。地元では「おおあささん」から転じ、「おわさはん」と呼ばれて親しまれているようだ。祭神は大麻比古大神(=天太玉命?)と猿田彦大神の2柱。
大麻は、終戦までは、アサ繊維を得るため、日本でも栽培されていた。日本の種類は、麻薬成分を殆ど含まないということだが、現在では、法律により、それも許可無く栽培することが禁じられているのは、ご存じのとおり。
(アサと呼ばれる繊維の材料は、大麻だけでなく、私が住む新潟県で作られる小千谷縮(おぢやちぢみ)や越後上布(えちごじょうふ)はアオソ(=カラムシ)が原料である)
神社の話しに戻ると、大麻比古大神は当地に麻楮の種をもたらし、麻布木綿製造を広めた祖だという。当地の殖産興業の先生だったわけだ。
四国88箇所第1番札所霊山寺のすぐ西を通って北に向かうと、大麻比古神社に突き当たる。駐車場の広さだけを見ても、今も多くの信仰を集めていることが窺い知られる。(途中の駐車場は、大型車用。マイカー用はもっと神社近くにある)
広い境内、中央参道の途中に、このクスノキが単独で立っている。
立派な注連縄は、神木として大切にされていることの証しである。参道の中央に陣取っているものだから、讃辞とともに、しばし眺めて行く人も多い。
ただ、(神木に対して不謹慎な発言だが)幹囲、樹齢とも、少々サバを読み過ぎなのではあるまいか。
話は変わるが、社殿の後方に小さな日本庭園がある。この庭園について、心温まる話が残っている。
第一次大戦では、日本とドイツは互いに敵国であった。中国の青島(チンタオ)で日本軍の捕虜となったドイツ兵953人が、大正6年から9年まで(1917〜20)、当地の板東捕虜収容所で暮らした。
当時の日本は、第二次大戦の悲惨な状況とはまったく異なっていた。人心に余裕があったのだろう。武士道精神がまだ生きていたのかも知れない。捕虜生活が長くなるにつれ、地元住民とドイツ兵の間に、一種の友情が芽生えた。
兵隊と言っても、職業軍人ばかりではない、召集される前はそれぞれ職業を持っていた。ドイツ兵は、バターやチーズの製法を教えたり、楽団を編成して演奏会を行うなどして住民と交流した。
収容所生活では、大麻比古神社の森を散策することもあったらしい。いよいよ帰国が決まると、帰国を前に、記念として、兵士たちはここに池を掘り、ドイツ風の石橋を架けた。アーチ橋の築造に長けた土木技師もいたのであろう。
(以上、案内板より。感想を含めて)
その「めがね橋」と「ドイツ橋」が今も残る。小さな橋だが、意味するものは大きいと思われる。 |
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