ページタイトル:お爺杉 サイトのシンボル

画像:お爺杉(幹と並ぶ)

画像:お爺杉の立つ小山
 この山上に「お爺杉」が立つ。(自動車道あり)
名称 お爺杉 (おじいすぎ)
名称の典拠 現地の標柱(注1)
樹種 スギ
樹高 35m(注2)
目通り幹囲 5.9m(注2)
推定樹齢 300年以上(注2)
所在地の地名 岩手県花巻市東和町北成島(注3)
 
〃 3次メッシュコード 5941−01−36
 
〃 緯度・経度 北緯39度21分55秒
           東経141度11分50秒
天然記念物指定 なし
撮影年月日 2008年8月7日

注1)毘沙門山観光開発推進委員会が設置(設置年月不詳)
注2)環境庁「日本の巨樹・巨木林 北海道・東北版」による
注3)2006年1月1日、花巻市に合併。旧行政区は和賀郡東和町





 猿ヶ石川右岸(北岸)の小山の上に成島毘沙門堂がある。坂上田村麻呂が創建したと伝えられる古堂で、本尊の兜跋毘沙門天立像は像高473cmの大きなもので、平安時代の作。国重文。
 境内を接して鎮守の熊野神社がある。三熊野神社(みくまのじんじゃ)と通称され、「泣き相撲」で有名な神社だ。
 案内板に「泣き相撲」のことが記されていた。
 古くは延暦年中(782〜806)、坂上田村麻呂が部下に相撲をとらせたことに始まり、その後、猿ヶ石川を挟む、北成島、南成島の2つの村から22歳の青年同士を競わせる慣わしとなった。しかし、この勝ち負けが作柄の善し悪しを占うことに結びつき、ついに流血の争いにまでなってしまった。そこで、宝永3年(1706)より、氏子の長男で数え2歳になる子による泣き相撲に代えた。南北6組に分かれ、先に泣き出した方が負け。行事自体も、勝ち負けによる占いではなく、豊作祈願と赤子の成長祈願へと性格を変えた。もう300年も継承されてきた祭礼行事である。
 お爺杉は、三熊野神社に向かって左手の小高い地点に立っている。さすがに他の木々とは一線を画す大きさだ。外野席からではあるが、泣き相撲の誕生からずっと眺めてきたと思われる。
 「お爺杉」は、田村麻呂の時代はおろか、「日本最古の」スギだとされているらしい。それが名の由来と思われる。標柱には「樹齢□千年」とあって、□の部分があとで消してあった。
 本当の樹齢は300年前後でないかと推測するが、この□には、いくらの数字が入っていたのだろうか。
 
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