ページタイトル:お祓い栃 当サイトのシンボル

画像:お祓い栃(幹と並ぶ)

画像:お祓い栃

画像:開田記念碑
 開田記念碑
名称 お祓い栃 (おはらいとち)
名称の典拠 天然記念物指定名称(注1)
樹種 トチノキ
樹高 18m(注2)
目通り幹囲 5.5m(注2)
推定樹齢 300年以上(注3)
所在地の地名 岐阜県郡上市高鷲町西洞(注4)
 〃 3次メッシュコード 5336−77−82
 〃 緯度・経度 北緯35度59分33秒
           東経136度53分58秒
郡上市指定天然記念物(1982年1月29日指定)
撮影年月日 2011年6月4日

注1)現地の案内板(1990年4月に旧高鷲村教育委員会が設置)は「おはらい栃」と平仮名だったが、文化財としての正式名は漢字
注2)環境省巨樹データベース(2000年フォローアップ調査)による
注3)上記案内板による
注4)2004年3月1日、郡上郡内の3町4村が合併して郡上市誕生。旧行政区は郡上郡高鷲村





 折立(おりたて)は三方を山に囲まれた谷間の集落である。不便な地ではあるが、勤勉な先人たちは勾配の緩い南西斜面を切り開き、石垣を築いて棚田を作った。比較的近年のことで、棚田は長方形に作られ、耕耘機が通るための道も作られている。棚田の完成がよほど嬉しかったのか、昭和35年(1960)5月に、当時の県知事の揮毫を仰いで開田記念碑が設置された。
 開田に関わった人々の満足そうな笑顔が想像できそうな気もするのだが、残念ながら、現在、そのうち耕作されている田圃は2割にも満たない。ほとんどの田は雑草で覆われている。
 国の減反政策が影響したか、あるいは不便を嫌って離村が進んだからか、余所者にその原因はわからない。最近になって、東海北陸道ひるがの高原サービスエリアの南を経由して、2車線の立派な舗装道路が出来たのだが、ちょっと遅きに過ぎたのだろうか。折立集落があったはずの場所に、もう家はほとんど見あたらない。
 その開田記念碑の横から、棚田の間を、道に沿ってまっすぐ登ると、この大トチノキの右手に出る。目のいい人なら、記念碑のところから、案内板の白い長方形が見える。
 トチノキは、若いスギから成る人工林の周縁部に立っている。スギたちはトチノキに敬意を表して、周辺に空間を確保してくれているのだが、背の高いスギと並んでは、やはり下部の葉にあたる日光は少なくならざるを得ない。ちょうど開花期に訪れたのだが、花は、ごく上部の枝に見られるのみ。樹下の落花の量も極めて少ない。
 かつて、トチノキには大きなフジが巻き付いていた。写真には、その残骸が見える。巻き付いたフジはトチノキに好作用を及ぼすはずがない。将来にわたるトチとフジの共存は難しいということで、フジが切除されたようだ。
 名の由来となった、当地から伊勢講に参加した人が持ち帰ったお札を納め、村人たちが五穀豊穣や家内安全を祈ったという祠も、今は無い。
 「文明」と称する、人間たちのひとり相撲を、大トチノキはどう眺めているのだろうか。
 
ボタン:岐阜県の巨木リストに戻る ボタン:トップページに戻る