ページタイトル:乎知命御手植の楠 当サイトのシンボル

画像:乎知命御手植の楠(幹と並ぶ)


画像:乎知命御手植の楠
名称 乎知命御手植の楠
    (おちのみことおてうえのくすのき)
名称の典拠 現地の案内板(注1)
樹種 クスノキ
樹高 15m(注2)
目通り幹囲 11.0m(注2)
推定樹齢 伝承2600年(注3)
所在地の地名 愛媛県今治市大三島町宮浦(注4)
 〃 3次メッシュコード 5133−20−90
 〃 緯度・経度 北緯34度14分53.0秒
           東経133度00分19.1秒
国指定天然記念物(1951年6月9日「大山祇神社のクスノキ群」として境内に立つ複数のクスノキを一括指定)
撮影年月日 2013年5月22日

注1)設置者名・設置年月とも不詳だが、多分、大山祇神社が設置したものと思われる
注2)環境庁「日本の巨樹・巨木林 中国・四国版」による
注3)上記案内板による
注4)2005年1月16日、今治市に合併。旧行政区は越智郡大三島町





 樹名にある乎知命(おちのみこと)は、小千命と表記されることもあり、また、後の越智(おち)氏に通じる名前でもあるように思われる。
 境内の案内板では、乎知命は大山祇神社の祭神大山積神(おおやまつみのかみ)の子孫とされ、神武東征の先駆として瀬戸内海の治安を司る際、大三島に祖神を勧請したとされている。
 大山積神(大山祇神と記す方が一般的)は、その名の通り、本来は山の神だが、大三島の土地柄、海の神としての性質も得たようだ。神社では海上安全の守護神としている。
 また、大山積神は、天孫瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の后となった木花開耶姫(このはなさくやひめ)の父でもある。山と海の神であり、天孫の義父でもあるということで、大山祇神社は日本総鎮守を称しているようだ。
 確かに立派な神社だ。伊予国一の宮であり、かつての官制における四国唯一の国幣大社であった。源平期には水軍の活躍がめざましかったからか、武家の尊崇も厚く、奉納品の件数も桁違いに多い。(そのうち太刀3振、鎧5領が国宝指定を受けている)
 クスノキの話に移ろう。
 参道を進んだ正面に立つこのクスノキは、乎知命の手植え、つまり神武天皇の時代に植えられたとされている。それが樹齢2600年の推定根拠だと思われる。
 かなりの老木であることは間違いないようで、あちこちの痛みが激しい。樹皮が剥離している部分も多い。ただし、新しい小枝も伸長しており、それらが密に葉をつけている。素人目ながら、枯れてしまう心配はなさそうだ。
 
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