ページタイトル:一里塚のムク 当サイトのシンボル

画像:一里塚のムク


画像:一里塚のムク(全景)
名称 一里塚のムク (いちりづかのむく)
名称の典拠 「日本の巨樹・巨木林」(注1)
樹種 ムクノキ
樹高 18m(注2)
目通り幹囲 5.4m(注2)
推定樹齢 300年以上(注2)
所在地の地名 三重県亀山市野村3丁目
 〃 3次メッシュコード 5236−23−25
 〃 緯度・経度 北緯34度51分26.1秒
           東経136度26分14.1秒
天然記念物指定 なし
撮影年月日 2009年7月19日

注1)1991年5月30日に旧環境庁が刊行
注2)環境庁「日本の巨樹・巨木林 東海版」による





 JR亀山駅の西北西1.5kmほどの旧東海道沿いに、野村一里塚がある。
 一里塚は、江戸時代の初め、江戸日本橋を起点に、幕府が一里(約4km)毎に設置した里程標で、「塚」の名の通り、土盛りをした上に樹木などを植えて、遠くから目立つようにしたもの。東海道が三重県を通過する区間には全部で12ヶ所の一里塚があったそうだ。しかし、時代の波に揉まれ、次々と姿を消して、現存するのはこれのみになってしまったという。(一里塚に建てられた石碑を参考)
 かつては道を挟んで反対側にも塚があったらしい。大正3年(1914)まではあったようだが、それも今はない。
 塚に植える木としては、夏は旅人に木陰を提供してくれるよう、大きな樹冠を有する広葉樹が選ばれた。ケヤキやエノキが選ばれることが多かったようだ。
 ここではムクノキが選ばれた。塚のてっぺんに陣取っているところを見れば、塚の築造と同時期に植えられたのだろうか。(2代目である可能性もあるが)
 長い間には、東海道の交通も、ずいぶん様変わりしたはずである。
 今日、住民以外の「旅人」がここを通ることも少なくなった。自動車の世になり、通行の際に一瞥くらいはくれることがあっても、木陰で一服という光景はもう見られない。私たちにとって、一里塚は無用の長物になってしまったのである。
 しかし、日本の歴史の一齣に於いては、大切な一里塚であったということで、昭和9年(1934)1月22日、国の史跡に指定されている。
 
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