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画像:仁科神明宮のスギ(本殿横のスギ)
 本殿横のスギ

画像:仁科神明宮のスギ(「三本杉」)
 「三本杉」。うち、中央の1本は既に無い

画像:仁科神明宮のスギ(手水舎脇のスギ)
 手水舎脇のスギ
名称 仁科神明宮のスギ
    (にしなしんめいぐうのすぎ)
名称の典拠 なし
樹種 スギ
樹高 45mほか(注1)
目通り幹囲 6.4mほか(注1)
推定樹齢 300年以上(注1)
所在地の地名 長野県大町市社(やしろ)宮本
 
〃 3次メッシュコード 5437−57−30
 
〃 緯度・経度 北緯36度26分58秒
           東経137度52分43秒
長野県指定天然記念物(1969年3月17日、「仁科神明宮の社叢」の名で境内林約1万9千平方mを指定)
撮影年月日 2007年1月6日

注1)環境庁「日本の巨樹・巨木林 甲信越・北陸版」による





 雪の降りしきるなか、仁科神明宮に参詣した。寝正月を決め込んでいた私にとっては初詣でもあった。仁科神明宮には過去に4度訪れたことがあるが、雪の参詣は初めて。
 三が日を過ぎているとは言え、新年最初の土曜日である。たくさんの人出を予想していた。しかし、まったくはずれた。広い駐車場には、車が1台だけ。私と妻の他に参詣者の姿は見えない。
 ときおり梢の雪が落ちる音がするほか、あたりは静かだ。境内には、そこかしこに、目通り5m級の大杉が黒々と佇んでいる。無音を妨げぬよう、私たちも、参道をしずしずと進んだ。
 世界平和、なかんずく日本が戦争の当事国とならぬよう、そしてわが家の安寧を祈願したのち、本命の大杉に向かう。かつての参詣で、国宝の本殿横に立つのが最大と目星をつけておいた。(実測したわけではない。目分量での話)
 本殿横手へは、スギが傾いたり、斜面の状態が悪かったりして、しばらくの間、通路が閉ざされていた。整備が終わって、今は通行できる。
 新雪に踏み跡をつけて樹下に立つ。幹囲の漸減が少なく、まさしく天上に伸びた柱という感じ。国宝に向かって傾いているため、複数のワイヤで倒壊を防いでいるが、樹勢そのものは悪くない。
 樹皮も滑らかで、単独指定されていた県天然記念物「三本杉」のような荒々しさはない。ヒノキかと見紛うほどだ。「三本杉」とは遺伝子が異なるのだろう。
 仁科神明宮についても、少し触れてみよう。
 かつてこの地域一帯は、伊勢神宮領「仁科御厨(にしなみくりや)」であり、平安時代中期、その鎮護のために祀られた社が、仁科神明宮の起源と考えられている。(神社でいただいたパンフレットによる)
 以来、伊勢神宮との関係は深く、国宝の本殿・中門・釣屋は、最古の神明造り様式を伝えているという。20年に一度、式年遷宮を行うのも伊勢神宮と同様で、現在の社殿は平成11年(1999)建立。次回は2019年に予定されている。また、拝殿手前の鳥居は、平成5年(1993)の伊勢神宮第61回遷宮の際に撤下を受け、ここに設置されたものである。
 戦国時代以前にこの地を治めていた仁科氏はもとより、江戸時代には松本藩主も式年遷宮を援助した。
 ずっと長い間、よく知られ続けた神社であった。大字名の「社」や集落名の「宮本」は、そのことを物語っている。
 こんな仁科神明宮だから、参詣者の姿がないのに驚いたのだった。
 パンフレットを頂戴しようと、社務所を覗いたら、「寒いところをごくろうさま。中で熱いお茶でもどうですか」と、お誘いを受けた。
 お茶は辞退したが、心の中は、熱いお茶以上に暖まる思いだった。
 
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