ページタイトル:日光寺のビャクシン 当サイトのシンボル

画像:日光寺のビャクシン

画像:日光寺のビャクシン(遠景)
名称 日光寺のビャクシン (にっこうじのびゃくしん)
名称の典拠 なし(注1)
樹種 ビャクシン
樹高 20m(注2)
目通り幹囲 5.7m(注2)
推定樹齢 700年(注3)
所在地の地名 兵庫県南あわじ市松帆檪田(注4)
 〃 3次メッシュコード 5134−46−00
 〃 緯度・経度 北緯34度20分11.9秒
           東経134度44分54.1秒
天然記念物指定 なし
撮影年月日 2012年3月20日

注1)旧西淡町社会福祉協議会が設置した樹名板には「天然記念樹 柏槙樹」とあった。(ただし天然記念物指定は受けていない)
注2)環境庁「日本の巨樹・巨木林 近畿版」による
注3)上記注1の樹名板による
注4)2005年1月11日、三原郡内の4町が合併して南あわじ市誕生。旧行政区は三原郡西淡町





 慶野松原から南東に約1.2kmのところに浄土宗法性山上宮院日光寺(ほっしょうざんじょうぐういんにっこうじ)がある。
 日光寺の由来について、境内に掲示があった。
 それによれば、聖徳太子が初めてこの地を訪れた際、慶野海岸で、波間に漂う一つの筥(はこ)を見付けた。拾い上げて中を検(あらた)めると、如意輪観音像が納められていた。太子がその像を尊信護持していたら奇瑞があった。そこで、像が流れ着いた慶野海岸に七堂伽藍を建て、南海道仏法最初の霊場と定めた。と、そのようなことが記されてあった。現在地への移転時期は不明だが、明応年間(1492〜1501)以降のことらしい。
 本堂に向かって右手、聖徳太子堂の前にビャクシンの巨木が立っている。
 見る角度によっては1本に見えるが、実は2本が隣接しているという方が正確だろう。ただし、いずれの樹皮も左螺旋を描き、その曲線模様がほぼ一致している。2本は同じ遺伝子を持つ可能性が高いように思われる。
 切られた大枝もあるが、全体に樹勢は良さそうだ。今後、さらに立派な姿になることを期待したい。
 
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