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画像:贄掛の大欅_1

画像:贄掛の大欅_2

画像:奉納相撲

画像:奉納相撲の桟敷
 子供相撲の奉納
名称 贄掛の大欅 (にえかけのおおけやき)
名称の典拠 現地の案内板(注1)
樹種 ケヤキ
樹高 35m(注2)
目通り幹囲 8.7m(注2)
推定樹齢 1000年(注3)
所在地の地名 長野県諏訪市中洲字宮山
 〃 3次メッシュコード 5338−70−99
 〃 緯度・経度 北緯35度59分54秒
           東経138度07分11秒
諏訪市指定天然記念物(1974年3月23日指定)(注4)
撮影年月日 2002年9月15日(このページの画像)
        2011年10月21・22日

注1)高札風の体裁の板に達筆で墨書されている。多分、諏訪大社上社が設置したもの
注2)環境庁「日本の巨樹・巨木林 甲信越・北陸版」による
注3)上記注1の案内板による。八十二文化財団のホームページ「長野県の文化財」は650年としている
注4)「諏訪神社上社境内の社叢」として社殿周辺に植栽された約200本の樹木全体が天然記念物に指定された





 諏訪大社は信濃国一の宮とされ、末社は全国に5千を数える。寺で言えば総本山にあたる諏訪大社は、上社・下社の二つに分かれ、さらに上社は本宮と前宮、下社は春宮と秋宮の、それぞれ二つに分かれている。この大欅はそのうち上社本宮(かみしゃほんみや)にある。
 平凡社「長野県の地名」によれば、現在では上社本宮は諏訪湖から5kmほど離れているが、古代から中世にかけて、湖はかなり大きく、すぐ近くまで迫っていたらしい。神社の背後は、杖突峠に至る山地である。当時は湖畔の豊かな緑の中に、社殿がぽっかり浮かんでいるような風景だったと思われる。(背後の神体山に広がる社叢は、今なお原始の姿のままであり、長野県指定天然記念物)
 この大欅が、当時からの生き残りであるか否かはともかく、社叢中で一番の古株であることは間違いなさそうだ。
 たまたま、境内では秋の例祭か、子供相撲の奉納が行われていた。小学生たちの元気な姿と、観戦の人々の楽しそうな表情が巨木の境内を明るく彩っていた。
 ところで、ケヤキの名の「贄掛」とは何の意味であろうか。この語でホームページの検索をしてみたら、史学博士井原今朝男氏が、山川出版「長野県の歴史」に書かれた文章が出てきた。
 今から750年ほど前、鎌倉幕府は、殺生を禁ずるため、数度に渡って、全国の守護・地頭に鷹狩りの禁令を発した。ただし諏訪大明神の御贄狩(みにえがり)だけは例外として許可したので、諸国の御家人らは諏訪社を勧請して、その御贄狩と称して鷹狩りを続けた。そして諸国の鷹匠は「諏訪の贄掛(にえがけ)」を行い、諏訪大明神を信仰した。と、およそこのような内容である。
 なるほど、そんなことがあったのか。と、一つ利口になった気もするが、結局、大欅との関係はわからずじまいだった。(※)

※その後に設置された案内板によると、御贄(狩りの獲物)を掛けて祈願したとあった。昔はもっと低い位置からも枝が出ていたのだろう。(2016.2.15追記)
 
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