ページタイトル:南部小学校のクスノキ 当サイトのシンボルマーク

画像:南部小学校のクスノキ_1



画像:南部小学校のクスノキ_2
名称 南部小学校のクスノキ
    (なんぶしょうがっこうのくすのき)
名称の典拠 なし
樹種 クスノキ
樹高 16m(注1)
目通り幹囲 5.2m(注1)
推定樹齢 不明
所在地の地名 大分県中津市(注2)
 〃 3次メッシュコード 5031−31−25
 〃 緯度・経度 北緯33度36分16.1秒
           東経131度11分08.1秒
天然記念物指定 なし
撮影年月日 2018年3月15日

注1)環境庁「日本の巨樹・巨木林 九州・沖縄版」による
注2)南部小学校のある辺りは「中津市」に続いて番地を記すだけ。(例えば、南部小学校の所在地で言うと、「大分県中津市1309番地」)





 山国川(やまくにがわ)は英彦山(ひこさん)の近くに源流を発し、周防灘(すおうなだ)に注ぐ。下流部は福岡・大分両県の県境の川となっていて、その最下流では、分流の中津川が分かれて、デルタ地形を形成している。
 その中津川右岸に中津城があった。
 築城したのは黒田孝高(くろだよしたか=黒田官兵衞、如水)。のち、細川氏、小笠原氏と城主が代わり、享保2年(1717)からは奥平氏の居城となった。慶應義塾(けいおうぎじゅく)の創設者として知られる福沢諭吉(ふくざわゆきち)も中津藩士であった。
 明治4年(1871)、その福沢諭吉の建議により、奥平藩の家老であった生田(しょうだ)家の屋敷跡に中津市学校(なかつしがっこう)が創設された。「天は人の上に人を造らず…」で有名な「学問のすゝめ」は、市学校創立の際に、中津の青少年に学問の重要性を説くために書かれたものだという。
 しかし、中津市学校は西南戦争を転機に衰退。ついに明治16年(1883)に閉校。その後もいろいろな学校として変遷を重ねたが、明治43年(1910)に南部小学校が開校して今日に至っている。(案内板による)
 「少し大きめの画像」をご覧になっていただくとお分かりと思うが、かつての生田家の門が、今も小学校の正門として使われている。(位置は少し動いたようだが…)
 私が訪ねたのは、ちょうど児童の登校時。校長先生が門の前に立って、次々に登校する児童に声を掛けつつ、明るい笑顔で迎えておられた。
 許可を得て、校地内に入る。
 クスノキは校舎のすぐ前。上記データよりも今はずっと大きい。幹囲も6mくらいになっているのではなかろうか。
 生田門と同じく、このクスノキもかつての家老屋敷から受け継がれてきたものと思われる。
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