ページタイトル:流岡神社跡のスギ サイトのシンボル

画像:流岡神社跡のスギ

画像:流岡神社跡のスギ(遠景)
名称 流岡神社跡のスギ
    (ながれおかじんじゃあとのすぎ)
名称の典拠 なし
樹種 スギ
樹高 27m(注1)
目通り幹囲 5.7m(注1)
推定樹齢 伝承1300年(注1)
所在地の地名 滋賀県長浜市東上坂町
 
〃 3次メッシュコード 5336−02−85
 
〃 緯度・経度 北緯35度24分38.6秒
           東経136度19分01.7秒
天然記念物指定 なし
撮影年月日 2007年8月21日

注1)環境庁「日本の巨樹・巨木林 近畿版」による





 琵琶湖に注ぐ姉川左岸に、標高131mの勝山がある。山と言っても、このあたり一帯の標高が120mほどだから、ほんの小さな山だ。
 案内板によれば、もとは岡山と呼ばれていたが、姉川合戦の際に徳川家康が陣を敷いて勝利したことから、勝山と呼ばれるようになったという。
 江戸時代以来、ここには流岡神社が鎮座していたが、明治41年(1908)、500mほど南に鎮座する上坂神社に合祀された。今は簡素な祠があるのみ。水田中に延びる参道と灯籠の列が面影を伝えている。
 境内の大杉は、樹齢1300年と伝えられているようだ。ならば、元亀元年(1570)の姉川合戦を知っていることになる。
 姉川を挟み、北には朝倉・浅井連合軍、南に織田・徳川連合軍が対峙した。旧暦6月28日午前5時に始まった白兵戦は午後まで続く激戦だったという。
 この大杉の頂部が枯れているのは、合戦の際に両軍の矢が飛び交い、枝を折ったためと伝えられているようだ(案内板より)。
 大杉に纏わる歴史ロマンに茶々を入れるのは気が引けるけれども、実際の樹齢はもっとずっと若いと思われる。頂部から枯れ始めるのも、老樹ではごく一般的な現象なのである。
 
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