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画像:村上道慶塾の赤松

画像:村上道慶塾の赤松(全景)
名称 村上道慶塾の赤松
    (むらかみどうけいじゅくのあかまつ)
名称の典拠 現地の案内板(注1)
樹種 アカマツ
樹高 10m(注2)
目通り幹囲 6.7m(注2)
推定樹齢 460年(注3)
所在地の地名 岩手県陸前高田市高田町字栃ヶ沢
 
〃 3次メッシュコード 5841−45−20
 
〃 緯度・経度 北緯39度01分20秒
           東経141度37分18秒
陸前高田市指定天然記念物(1973年3月1日指定)
撮影年月日 2006年8月21日

注1)1994年3月に陸前高田市教育委員会が設置
注2)環境庁「日本の巨樹・巨木林 北海道・東北版」による
注3)上記案内板による





 住宅地に立つアカマツ。下写真のように美しい樹冠を戴いている。
 標記の幹囲データは、旧環境庁調査要項に則り、3本の幹囲を合計したもので、実際には、巨松というより名松の形容が似合うアカマツである。
 周辺はシバが植えられ、庭園風に整備されている。ここは、村上道慶(1559〜1644)が元和元年(1615)に開いた寺子屋「西光庵」の跡地ということである。
 村上道慶については、単に寺子屋のお師匠さんだったというだけでなく、郷土の偉人として、次のような話が伝わっている。
 ここから300mほど西を流れる気仙川は、高田松原の西端で広田湾に注いでいる。清流にはアユやヤマメが棲息し、季節になるとサケが上る恵みの川であった。
 正保元年(1644)のこと、遡上するサケをめぐって今泉村(気仙町)と氷上村(高田町)が対立して争い、とうとう抜き差しならぬ事態になってしまった。この時、村上道慶も調停に動いたが、騒ぎは収まらず、10月20日、ついに自らの首を刎ねることで、争いの愚を諭した。人々はこれに感じて、さしもの争いも鎮まり、道慶は「川の神」として崇められたという。
 マツは、その時代には既に立っていたのだろうか。
 美しい樹形に、道慶の気高い生き方が偲ばれるようにも思う。

※2011年3月11日、M9.0の大地震が引き起こした非情な大津波により、このマツも建物も、何もかもが失われてしまった。海岸からは1.7kmも離れていたのだが…。(2016.12.11追記)
 
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