ページタイトル:椋本の大ムク 当サイトのシンボル

画像:椋本の大ムク_1



画像:椋本の大ムク_2
名称 椋本の大ムク (むくもとのおおむく)
名称の典拠 天然記念物指定名称
樹種 ムクノキ
樹高 16m(注1)
目通り幹囲 9.5m(注1)
推定樹齢 1500年以上(注2)
所在地の地名 三重県津市芸濃町椋本(注3)
 〃 3次メッシュコード 5236−13−64
 〃 緯度・経度 北緯34度48分25.3秒
           東経136度25分30.4秒
国指定天然記念物(1934年1月22日指定)
撮影年月日 2009年7月19日

注1)環境庁「日本の巨樹・巨木林 東海版」による
注2)現地の案内板による(設置者名・設置年月とも不詳)
注3)2005年11月1日、津市に合併。旧行政区は安芸郡芸濃町





 旧芸濃町役場の北西1.2km、椋本団地の北に、「椋本の大ムク」が立っている。
 残念ながら、周囲には玉垣が巡らされ、扉は閉まっていて、直接、手で触れることは出来ない。まるで、このムクノキそのものが御神体であるかのような扱いである。幹には立派な注連縄がかけられている。
 環境省が2000年に実施した巨樹・巨木林フォローアップ調査のデータでは、兵庫県佐用町の「三日月の大ムク」に次いで、全国第2位となる大きさである。(ただし、現地の案内板では、幹囲8mとなっている)

画像:椋本の大ムク_3

 ここは、地名にも「椋」がつく。椋本(むくもと)は椋(の木)の元の意味であろう。案内板には、地名についても説明があった。
 嵯峨天皇(在位809〜23)の御代、征夷大将軍坂上田村麻呂の家来であった野添大膳父子が伊勢路を流浪し、この地に逃れ来て巨大なムクノキを見つけ、その下に草庵を結んで住み着いた。それが椋本の発祥だという。
 野添大膳云々については、真偽を確かめてみようもないが、椋本の地名とこの大ムクが無縁だとは思えない。地名を定めるにあたっては、このムクノキを地名に残そうとする何らかの意思があったのだろうと思う。
 幹の裏側を見ると、大きな傷痕が目につく。かつてはここにもう1本の幹が出ていたのではないだろうか。明治3年(1870)9月18日夜の暴風雨で折れたという大枝の痕がこれだろうか。折れる前のムクノキは、今よりさらに一回りも二回りも大きかったに相違ない。
 今も素晴らしい巨木ではあるが、その頃に会ってみたかったものだ。
 
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