ページタイトル:三峯神社の神木 当サイトのシンボルマーク

画像:三峯神社の神木 名称 三峯神社の神木 (みつみねじんじゃのしんぼく)
名称の典拠 なし
樹種 スギ
樹高 40〜50m(注1)
目通り幹囲 6.5m/6.0m(注1)
推定樹齢 350年(注1)
所在地の地名 埼玉県秩父市三峰(注2)
 〃 3次メッシュコード 5338−77−04
 〃 緯度・経度 北緯35度55分31.2秒
           東経138度55分48.7秒(注3)
天然記念物指定 なし
撮影年月日 2023年11月20日

注1)NPO法人 秩父の環境を考える会」が2011年に刊行した「秩父地方の巨木・名木」による
注2)2005年4月1日、秩父市に合併。旧行政区は秩父郡大滝村
注3)これは拝殿に向かって左側のスギの位置





 東京都の最高峰雲取山(くもとりやま、2017m、日本百名山の一つ)は埼玉県との都県境の山でもある。また三角点から山梨県まで100mも離れていないことから、実感的には3都県の境界の山という感じ。
 雲取山から北に稜線を辿ると、白岩山(しらいわやま、1921m)、妙法ヶ岳(みょうほうがたけ、1329m)が続く。これら3山を総称して三峰山(みつみねさん)と呼んでいるようだ。三峰山からさらに稜線を北に辿ると、最後は二瀬(ふたせ)ダムに向かって落ちて行くが、降下を始める手前の稜線部に三峯神社が鎮座する。
 境内に掲示された由緒を要約すると、日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征の折に東国の平安を祈って伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉冉尊(いざなみのみこと)を祀ったのが始まりと伝える。のち修験の寺となり、鎌倉時代には畠山重忠(はたけやましげただ)が十里四方の広大な土地を寄進。戦国時代の天文2年(1533)には、月観道満が社殿を再建、中興の祖とされている。江戸時代を通じて、十万石の格式を与えられるなど幕府から厚く遇されたが、明治維新で修験が廃され、神社となった。
 拝殿前に立つ一対の大杉は、再建時に植えられたと伝えられていたものか、かつては中興僧道満に因んで「道満杉(どうまんすぎ)」と呼ばれていたらしい。しかし、日本最初の林学博士本多静六(ほんだせいろく、埼玉県出身)氏が樹齢750年と見立てたことから、道満の時代よりも約250年古いということになってしまった。ならば畠山重忠だろうということで、その後「重忠杉(しげただすぎ)」と呼ばれるようになったそうである。(大久根茂著「埼玉巨樹紀行」による)
 この大杉には、もう一つ私的な謎があって、左右どちらの方が大きいかということである。私が見た印象では向かって左が太く思えたのだが、右が太いとしている方が多いようだ。写真を見返すと、右が太いようにも思え、頭が混乱してきた。
 この謎については、ご自分の目で答を出していただきたいと思う。
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