ページタイトル:御熊神社のタブノキ 当サイトのシンボルマーク

画像:御熊神社のタブノキ(幹と並ぶ)
 
 ↑ 第一のタブノキ(幹囲5.8m)
 ↓ 第二のタブノキ(〃5.5m)
 
画像:御熊神社境内第ニのタブノキ
名称 御熊神社のタブノキ (みくまじんじゃのたぶのき)
名称の典拠 なし
樹種 タブノキ
樹高 18m(注1)
目通り幹囲 5.8m(注1)
推定樹齢 不明
所在地の地名 鳥取県鳥取市御熊
 〃 3次メッシュコード 5334−10−98
 〃 緯度・経度 北緯35度29分43.8秒
           東経134度06分05.5秒
天然記念物指定 なし
撮影年月日 2020年10月18日

注1)「今日もおでかけ」ブログによる





 合併前の気高町(けたかちょう)との境界近く、県道21号(鳥取鹿野倉吉線)から同258号(御熊白兎線)に入って最初の集落が御熊(みくま)である。
 神社は集落の南西、山中に少し分け入ったところ。(地理院地図に神社マークはないが、参道は描かれている)
 正式名を阿太賀都健御熊命神社(あたがつたけみくまみことじんじゃ)というらしい。延喜式神名帳の因幡国高草郡の項にその名が載っているそうである。本来の祭神は御熊命(みくまのみこと)だが、明治以降、近隣の神社を合祀して、現在の祭神は、木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)、天目一箇神(あめのまひとつのかみ)、保食神(うけもちのかみ)を加えた4柱。(社号が長いため?)御熊神社と略して呼ばれるのが通例であり、また境内に玄武岩の柱状節理が見られることから、「柱ノ大明神」とも呼ばれたらしい。(案内板より)
 その博識に敬服している「玄松子の記憶」の「祭神記」によれば、御熊神は日本書紀で大背飯三熊之大人(おおそびのみくまのうし/おおせいいのみくまのうし)の名で登場する神と同一神で武三熊之大人(たけみくまのおうし)と記されることもあるようだ。国譲りの交渉のため葦原中国(あしはらのなかつくに)に赴いた天穂日命(あめのほひのみこと)の子。
 父の天穂日命は大国主命のところに行ったきりで、さっぱり報告もなかったため、(催促のため?)子の御熊神が派遣されたが、御熊神も父神同様戻らなかったとされているらしい。ここに祀られているのはそのような背景があるからだろうか?
 境内に見られる玄武岩の柱状節理が鳥取市から文化財(天然記念物)指定を受けている。
 ここでは、兵庫県豊岡市の国指定天然記念物「玄武洞」のように大きな露頭が見られるわけではなく、地表に径約50cm、長さ1.5〜2mほどの横向きの六角柱が多数見られるものである。神社の石段にも利用されており、また石段の辺りから斜面下方を見ると、ところどころに転がっているものも見える。(石段だったものが落下したのか、それとも元からそこにあったのか不明)
 タブノキの話が遅くなってしまった。
 タブノキは参道の途中、向かって右の樹林内。と言っても、参道のすぐ近くなので見つけるのは容易。
 野生児の顔をしたタブノキである。
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