ページタイトル:万竜寺のクマスギ 当サイトのシンボル

画像:万竜寺のクマスギ(幹と並ぶ)

画像:万竜寺のクマスギ
名称 万竜寺のクマスギ (ばんりゅうじのくますぎ)
名称の典拠 現地の案内板(注1)
樹種 スギ
樹高 30m(注2)
目通り幹囲 5.0m(注2)
推定樹齢 300年(注3)
所在地の地名 長野県須坂市亀倉
 〃 3次メッシュコード 5438−72−37
 〃 緯度・経度 北緯36度36分54.0秒
           東経138度20分41.5秒
須坂市指定天然記念物(1986年10月17日指定))
撮影年月日 2012年6月10日

注1)2001年3月に須坂市教育委員会が設置。天然記念物指定名称は「萬龍寺のクマスギ」。なお、この案内板で、万竜寺に「まんりゅうじ」とルビが振られていたため、従来はそのように紹介していたが、実際は「ばんりゅうじ」と読むのが正しいらしい。よって、「ばんりゅうじ」に訂正した。(2016.09.23訂正)
注2)環境庁「日本の巨樹・巨木林 甲信越・北陸版」による
注3)上記案内板による





 米子川左岸に天台宗帰命山万竜寺(きみょうざんまんりゅうじ)がある。
 案内板によると、慶長16年(1611)頃、但唱上人が米子村の奇妙山に入って木食修行をした。但唱は修行のかたわら、民衆救済の願いを込めて仏像を刻んだ。元和3年(1617)、誓願成就した但唱は、亀倉村河原に堂を建て、自ら刻んだ千体仏を安置した。これが万竜寺の始まりという。
 子供を望む女性や、子を亡くした母親は、千体仏のうち、比較的小さい仏様を、家に持ち帰ることができた。そして、添い寝して子授けを願ったり、死んだ子の菩提を弔ったりしたのだという。
 願いが成就すると、仏像をもう1体作って寄進するのも慣わしだったようだ。現在1058体が確認されているらしいが、そのほとんどは寄進によるもので、但唱作と伝えられるものは17体にとどまるとか。それだけ多くの願いを叶え続けてきたわけだ。
 さて、標記のスギだが、短い参道入口の両側に立っている。富山県なら「門杉」と呼ぶところ。
 クマスギの呼称は、北信地方で時々見かけることがある。これも案内板によれば、「熊野杉」が名前の起源だという。
 江戸時代に熊野から杉苗を持ち来ることが可能だったのか、あるいは単に有名な名にあやかっただけなのか。その辺りの詳しい事情は知らないが、当時、熊野杉の名が良質のスギの代名詞であったことは想像できる。
 先に、参道両側に立つと書いたが、実は、もう一本の方は、途中で大きく崩れている。昭和57年(1982)の台風で折れてしまったのだ。
 そのため、天然記念物指定も1本のみである。
 
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