ページタイトル:万騎峠のブナ 当サイトのシンボルマーク

画像:万騎峠のブナ(幹と並ぶ)
 道路から見るブナ
 (印象は3m台のそれではない)


画像:万騎峠のブナ(旧道?からの眺め)
 旧街道(と思う)の須賀尾側から見る姿
名称 万騎峠のブナ (まんきとうげのぶな)
名称の典拠 「群馬の巨樹」(注1)
樹種 ブナ
樹高 15m(注2)
目通り幹囲 3.9m(注2)
推定樹齢 不明
所在地の地名 群馬県吾妻郡長野原町応桑
 〃 3次メッシュコード 5438−65−01
 〃 緯度・経度 北緯36度30分25.9秒
           東経138度38分28.3秒
天然記念物指定 なし
撮影年月日 2020年6月4日

注1)このブナに会いたいと思わせてくれた「巨樹の旅」に『「群馬の巨樹」に掲載の「万騎峠のブナ」』と書かれていたので
注2)上記「巨樹の旅」による





 長野県上田市と群馬県高崎市を結ぶ、かつての信州街道万騎峠(標高1284m)に立つブナ。(信州街道は上野国(群馬県)側での呼び名。信濃国(長野県)側では上州街道と呼ぶ)
 なかなかの大ブナだ。幹断面がかなり扁平なこともあって、現在の道路から見た印象は、データよりもかなり大きい。
 自生のブナと思うが、まさしく峠の地点にランドマークのように立つので、このブナは一里塚のような役割を期待され、今日まで伐採されずに残されてきた可能性があるように思われる。
 案内板によると、信州街道は、高崎から善光寺方面または草津方面への近道として、また信州の産物の輸送路として利用され、人馬の往来が多かったらしいが、明治26年(1893)の信越本線全線開通を機にすっかり寂れてしまったようだ。今は旧街道の跡を探すのも難しい。
 万騎峠の名前についても説明があった。
 一つの説は、建久4年(1193)に源頼朝が三原・那須で巻狩をした際、西麓の狩宿(かりやど)の地で宿泊した後、一万騎の兵を従えて峠を越えたことに由来するというもの。
 もう一つは、第一説の狩の峠越えの際、勢子に化けた狐狸が行列に混じって邪魔をするので、(化かされるのを防ぐため、兵は)陣笠に卍(まんじ)の印を付けて峠越えをした。そのことから卍峠と呼ばれるようになり、その後、卍峠→万字峠→万騎峠と変化したというもの。
 いずれの説も面白い伝説の域を出ないように思うが、今日までそれが伝わっているということは、人々の心に訴える何かが話には含まれているのだろう。
 今は、峠越えの舗装道路があり、大ブナに会うのは容易になった。(ただし道幅は狭い)
 これまでしばらくの間、峠の東側(須賀尾側)が災害で通行止めになっていたようだが、私が訪ねた時には通行できた。
 峠は、往復ではなく、やはり越えた方が楽しい。
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