ページタイトル:真鍋八坂神社のケヤキ 当サイトのシンボル

画像:真鍋八坂神社のケヤキ(神木)(幹と並ぶ)

画像:真鍋八坂神社参道

画像:真鍋八坂神社のケヤキ(入口)(幹と並ぶ)
名称 真鍋八坂神社のケヤキ
    (まなべやさかじんじゃのけやき)
名称の典拠 なし
樹種 ケヤキ
樹高 26mほか(注1)
目通り幹囲 5.2mほか(注1)
推定樹齢 300年以上(注1)
所在地の地名 茨城県土浦市真鍋5丁目
 〃 3次メッシュコード 5440−11−16
 〃 緯度・経度 北緯36度05分56.5秒
           東経140度12分03.0秒
天然記念物指定 なし
撮影年月日 2010年5月22日

環境庁「日本の巨樹・巨木林 関東版(T)」による





 県立土浦第一高等学校の西300mほどに、八坂神社が鎮座している。
 神社の始まりについて、ちょっと変わった話が伝わっている。
 平凡社「茨城県の地名」からの孫引きで申し訳ないが、天正元年(1573)5月4日の宮本山城由緒書に「大形村天王賞罰甚厳重にて(中略)川流に仕り候所流来箱に其旨書付御座候を漁士両客弥次兵衛、嘉左衛門拾い揚げ候」とあるらしい。
 天王とは牛頭天王(ごずてんのう)のこと。その本地は八坂神社の祭神素盞嗚命(すさのおのみこと)である。「賞罰がはなはだ厳重だった」とはどういうことなのだろうか。
 私の盆暗頭では文意のすべてはつかみかねるが、大形村(つくば市にも阿見町にも大形村があった。そのいずれかだろう)にあった八坂神社が、信仰を失って、いきさつを記した箱に御輿が納められ、川に流された。それが霞ヶ浦を漂ってこの地に流れ着き、弥次兵衛、嘉左衛門の二人の漁師が拾った、ということではないだろうか。
 拾われた御神体は、応永18年(1411)に、少し高台になっているこの地に祀られた。
 由来はどうであれ、この地では人々に愛されてきたようだ。祭礼も盛り上がったようで、御輿が城下を練り歩く際に、しばしば騒ぎを起こし、また決められた刻限を守らなかったらしい。お叱りを受けた証拠文書も残っている。
 「既ニ昨年祭礼の節も不埒之所行に及び候次第にも至り畢竟御法を相乱し遅刻に及びにも候義以ての外宜しからざる事ニ候(中略)向後之義すべて揃刻限などの儀は聊かも渋滞致さず候様」(天保11年(1840)6月6日口達)
 子供が説教されているようで、おもしろい。
 現在の八坂神社は、住宅地にある静かな神社である。
 参道の両脇に、間隔を置いてケヤキが植えられている。ケヤキは、少なくとも明治以前に植えられたようだ。
 そのうちの3本が、目通り5mを超えている。上記の幹囲は旧環境庁データを転記したものだが、実際はもう少し大きいようだ。
 上図のケヤキは並木の一員でなく、拝殿から見て左前方、境内の端に立っている。これは、平成6年(1994)3月14日、土浦市名木・古木第1号に指定された。
 中図右側の個体は、参道途中に立っている。これは土浦市名木・古木第78号。
 下図は参道入口に立つ個体。無指定のケヤキだが、体格は前二者に劣らない。地上1.3mの幹囲を測定したら5.7mあった。
 ところで、冒頭の土浦一高は、俳優で日本野鳥の会第5代会長でもある柳生博さんの母校である。
 柳生さんもこのケヤキをご存じだろうか。
 
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