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注1)山形県教育委員会、長井市教育委員会、長井文化財保護協会の三者が連名で設置(設置年月不詳)
注2)環境庁「日本の巨樹・巨木林 北海道・東北版」による
注3)その後、2005年7月14日、国指定天然記念物となった
傍らに立つことができないのは残念だが、距離をおいて眺めても、その巨体に圧倒される感じだ。幹回りの太さは、間違いなく日本のトップクラスである。樹高も、これだけの古木にしては、十分高い。
しかし、さすがに老いには勝てないようで、枯死した大枝が目立つ。花も、若いサクラほどは沢山つけてくれない。
隙間の空いているところに想像の大枝を補い、半球形の樹冠を脳裏に描いて、最盛期の姿を思ってみた。
樹冠が覆う面積は1反(約32m四方)にも及び、下写真左側に見える家の屋根を覆ったという。
想像のサクラがその様子と重なる。実際にこの目で見たかったものだ。
戦国の頃、少年伊達政宗が鮎貝の合戦に参戦。初陣だったが、負け戦さ。敗走する際に、この桜の洞に隠れて難を免れた。そのため、後に家臣を遣わしてサクラの保護にあたらせた・・・そんな伝承が案内板に紹介されてあった。 |
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