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名称 黒木のフジ (くろぎのふじ)
名称の典拠 現地の案内板(注1)
樹種 フジ
樹高 −
目通り幹囲 2.2m(注2)
推定樹齢 600年(注3)
所在地の地名 福岡県八女市黒木町黒木(注4)
〃 3次メッシュコード 4930−65−54
〃 緯度・経度 北緯33度12分46.2秒
東経130度40分23.3秒
国指定天然記念物(1928年1月31日指定)
撮影年月日 2017年4月3日
注1)1995年3月25日に旧黒木町教育委員会が設置。天然記念物指定名称もこれに同じ
注2)環境庁「日本の巨樹・巨木林 九州・沖縄版」による
注3)上記案内板による
注4)2010年2月1日、八女市に合併。旧行政区は八女郡黒木町
旧黒木町の町並み東部、矢部川(やべがわ)沿いを走る国道442号のすぐ北に素盞嗚神社(すさのお)神社が鎮座し、境内に左図のフジがある。
南北朝時代末期の応永2年(1395)、劣勢となった南朝方、懐良親王(かねながしんのう)の跡を継いだ後征西将軍宮(のちのせいせいしょうぐんのみや)良成親王(ながなりしんのう)の御手植えと伝えられている。
この頃、中央では南朝が終焉し、良成親王はこの後間もなく矢部の地で薨去されたようである。いわば、このフジは、南朝の蝋燭にともった最後の灯りとも受け取れる。
手植え伝説の真偽はいざ知らず、地元でずっと大切にされてきたフジである。藤棚は、蔓が伸びるに従って拡張され、今では鉄骨の藤棚が国道を跨いでいる。
「七色の谷を越えて」で始まる「花の街」やオペラ「夕鶴」の作曲家として知られる團伊玖磨(だんいくま)も、ちょうど花の頃にここを訪れたことがあるようで、その随筆集「パイプのけむり」にこのフジを取り上げている。(文学碑(?)あり)
私が訪ねたのは早春。まだ花も葉も無い。陽光を浴びながら、エネルギーを蓄えている時期。
約90年前、天然記念物に指定された当時の解説文には「一大老樹ニシテ根元ノ周圍二丈余、主幹ノ根元ヨリ數本ノ支幹ニ分レ多数ノ枝ヲ生ジ廣キ面積ヲ蔽ヘリ」とある。根回り6mを超える大株だったようだが、今は株がばらけてしまい、むしろ、近くに立つ後進のフジの方が大きいくらい。
でも、まだ樹勢は悪くなさそうだ。
所狭しと棚を埋め尽くす紫色の花房も見てみたいが、何と言ってもわが家から遠すぎる。
叶わぬ夢のようである。 |
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