ページタイトル:蔵内観音堂のイチョウ 当サイトのシンボルマーク

画像:蔵内観音堂のイチョウ(幹と並ぶ)


画像:石垣を登る亀
名称 蔵内観音堂のイチョウ
    (くらうちかんのんどうのいちょう)
名称の典拠 なし
樹種 イチョウ
樹高 30m(注1)
目通り幹囲 6.4m(注1)
推定樹齢 不明
所在地の地名 鳥取県鳥取市青谷町蔵内(注2)
 〃 3次メッシュコード 5334−10−81
 〃 緯度・経度 北緯35度29分23.7秒
           東経134度01分13.7秒
天然記念物指定 なし
撮影年月日 2020年10月18日

注1)「今日もおでかけ」ブログによる
注2)2004年11月1日、鳥取市に合併。旧行政区は気高郡青谷町





 JR山陰本線青谷(あおや)駅の東から日置川(ひおきがわ)に沿って県道280号(俵原青谷線)を南下。約3.4kmで「蔵内」バス停あり。そこで左折して橋を渡ると、正面の山裾に蔵内の集落が見える。(集落内の道は細く、駐車できないので注意)
 左図の大イチョウが立つ観音堂は,集落の中央付近。城郭のような急峻な石垣の上。(堂内を覗くと、千手観音が安置されていた)
 イチョウは境内平面の端。なかなか大きなイチョウである。樹勢も良い。
 単幹で立ち上がって、やや斜上し、上空で一気に大枝を広げている。球形の大きな樹冠は蔵内川の対岸からも認められる。
 ところで、観音堂の石垣だが、これがちょっと変わっている。亀が這い登っているのである。
 近くで仕事をしておられた紳士が郷土の歴史にとても詳しい方で、いろいろと教えて下さった。
 第二次大戦中の昭和18年(1943)9月10日夕刻、このあたりを鳥取地震が襲った。マグニチュード7.2の直下型地震で、鳥取市内の木造家屋はほぼ全てが全壊。死者は1083人を数えた。(Wikipediaによる)
 その時に観音堂の石垣も崩れた。(以前の石垣は宝暦年間(1751〜64)のものだそうだ)
 石垣を再建する際、亀を組み込んだらどうかと、石工さんから提案があったという。(当時はこの近くに石工さんもおられたそうだ)
 昔、当地では水で不便したことがあったらしく、亀は水を呼ぶこと、そして長寿の象徴であることから縁起が良いということになり、地元民も賛同して今の姿になったということである。当時は重機もないことから工事にはずいぶん時間が掛かり、着工まで少し間があったこともあって、完成は昭和30年(1955)。
 今では蔵内集落のシンボルとなった。
 再びイチョウであるが、樹冠が大きくなりすぎぬよう、時々剪定されるらしく、今年はその年だという。落葉を待って剪定されるのだろう。
 今後数年は、樹冠がもっと小さくなりそうである。
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